生まれたき みずからの意思つらぬきて 我はこの世に 生まれしならむ
高松光代『天機(上)』(二〇〇六年)より
高松さんは二〇〇七年、九七歳で亡くなっています。こんなにも誇り高く、いのちの本質を宣言する歌に感動しました。
お産のそばにあると、日々、まさにこの歌の真実を実感します。生きて元気に生まれてくるいのちも、障害を持って生きるいのちも、生まれても生きることのできないいのちも、生まれてくることのできないいのちも、すべて、みずからの意志を強く貫いています。小著『子どもを選ばないことを選ぶ』で伝えたかったことでもあります。
開業以来10年。私たちの小さな診療所でも、さまざまな出来事がありました。
妊娠18週で子宮口から胎胞が少し出てきてしまい、わずかに破水した例がありました。産科の常識からは、そのまま流産する確率が高く、赤ちゃんが無事育つことは、ほぼ絶望と思われました。けれども、自然経過に任せ、妊娠継続をめざしたところ、妊娠26週までお腹の中にいて生まれた女の子は、新生児医療に助けられ、元気に成長しています。奇跡のようなできごとでしたが、医療の力さることながら、まず、その子どもに生きる力があったのです。
けれども、はっきりした先天性の疾患や症状がないにもかかわらず、妊娠中に子宮の中で亡くなってしまう赤ちゃんや、出生後、乳幼児突然死症候群(SIDS)などで亡くなった赤ちゃんもいました。産科主治医として無力な自分をさんざん責めもしました。赤ちゃんがみずから死を選んだとしか思えない事例もありました。
産科医療をめぐり、さまざまな不幸が渦巻いています。たとえば、結果が望まないものであったとき、産む人と医療者との間に起こるあつれき、身体の生理を省みないことから起こる異常などは、親や医療者が子どもたちの生死を操作できるかのような、あるいは、望めばすべてのものが手に入るかのような錯覚やおごりに陥っていることに端を発しています。いのちの理を知り、生かされていることに謙虚になることは、この歌が詠うように、与えられたいのちをみずからの意思で力強く生きることと同義です。日々の仕事の中で、まず、子どもたちの生きる力を信じたいと思います。
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