明日香医院
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『子どもを選ばないことを選ぶ』その後

Mさん、春乃ちゃん、優太くんと私。
子どもたちの成長を見せていただくのはうれしい
(写真:宮崎雅子)
弟の優太くんが生まれてしばらくしたころ、Mさんは次のように話されました。「優太が生まれる前、今度生まれてくる子どもはダウン症じゃないほうがいいけれど、もしダウン症の子どもでも産もうと思っていました。そして健常児の優太を育ててみて、優太は何でもするするできてしまうことがわかりました。それに対して春乃は何でもゆっくり。そのタイプの違うふたりの子どもを育てている今は、もし次の子どもが授かるならば、今度は本当にどちらでもよい、私は喜んで育てられると思います」

幼稚園でお母さんと一緒に参加する催しものがあったとき、春乃ちゃんはちょっと騒いだので前列に出されてしまいました。同じように前列に出された子どものお母さんが、春乃ちゃんを見るなりMさんに「春乃ちゃんですね。同じ幼稚園だといいなあと思っていました」と話しかけてくださったそうです。「本のお陰で私の子育ては助けられています」と報告を受けて、私にとってこれは望外の喜びというべきでしょう。

出版後、私たちのお産の家で、ダウン症の女の子が生まれました。かつての私は、赤ちゃんの顔立ちから、出生直後にダウン症を診断できていました。染色体の血液検査はその確認にすぎません。産科医として、それはふつうの判断力です。さらに、春乃ちゃんが生まれたときそうだったように、ダウン症の子どもが生まれるたび、私は衝撃を受けていたものでした。

ところが今回、私は診断に迷いました。赤ちゃんの顔立ちを見ても衝撃も受けず、違和感も覚えなかったからです。血液検査の結果を見て、ようやく診断できました。

ぼんくら産科医と言われればそのとおりでしょう。けれど、私にとってダウン症の赤ちゃんは特別に意識して区別すべき対象ではなくなってしまったのだと、むしろうれしく思いました。

そしてその女の子、寧良(なら)ちゃんも、病気の可能性のある部分はそれぞれの専門家に診ていただきつつ、お母さんのおっぱいを飲み、健やかに育っています。
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