明日香医院
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お産と過ごす日々
かつて地球化学者をめざしていた私は、子どもを産んでおっぱいで育てた経験から産科医を志した。医大卒業後数年の勤務医を経て、自然なお産、産む人の生理的能力を妨げないあたりまえのお産、それに続く母乳育児を援助すべく、東京・杉並区の片隅で小規模の産科診療所を開設し、5年が過ぎた。気づきをくれた長男は18歳になった。

のんびり、ささやかに、けれど細やかに働き、ゆったりお産に付き添いたいと願った開業であったが、実際はいきなり激流に飲み込まれ、木の葉の船に必死でつかまりながら、なんとかここまで来られたと感じる。志に生きたいと切に願ったが、それがこのような日々をもたらすとは、わずか5年前でさえ、想像できなかった。産科医療の限界に直面することや、自らを試されることも少なくなかった。産む人とともにある喜びや嬉しさ、子どもたちの健やかな成長を見せてもらう幸せが、私を支えてくれた。

私たちの施設は、ほんとうに小さな木の家である。木立に囲まれ、緑の風が吹き抜ける。分娩台も手術室も持たず、お産の部屋と呼ぶ板張りの分娩室のほかは、洋室、和室それぞれ1室の入院室を持つのみで、入院は3床である。医療スタッフは医師である私のほか常勤助産師7名である。

すべてのお産は複数の産科医と新生児科医、そして麻酔科医が常時待機する高次施設で行うべきとの動きもある昨今、私たちは時代に逆行しているのであろうか。それは、お産を異常中心に捉えるか、本来正常なものと捉えるか、あるいは、お産の医療的な側面を重んじるか、お産は原初的ないのちの営みであって、文化的、精神的、かつ霊的な家族の領域と考えるかという、お産哲学の相違であろう。過去当院でお受けした1,000例近いお産の中で、帝王切開となったものは1%台であった。ほとんどのお産は、経膣分娩が可能なことがわかる。さらに、医療が異常を作り出している可能性も否定できない。また、まれな異常であればこそ、高次施設で助けていただかなければならない。過去、搬送をこころよく受け入れてくださった施設には、こころから感謝している。
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