明日香医院
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命を奏でる映画「地球交響曲第五番」
大野: 私はいままで雑誌やテレビからのお産場面の取材はことごとくお断りしてきました。私にとっては、まず、お産を守ることが第一の仕事です。取材者や撮影者がお産の場にいて、とにかく撮りたいなどの邪念を持ち込むことによって、肝心のお産そのものが壊れてしまうこと、母子が余計な危険にさらされてしまうことになることを何より怖れます。ですから、明日香医院では、取材だけでなく、お産を見学したいという助産師さんなどのご希望も一切お断りしています。

龍村: 大野先生はよく「宮崎さんが消える」と表現されますね。

大野: そうなんですよ。気配が消えてしまうのです。もちろん、シャッターの音とかはするのですが、それがちっとも気にならない。

龍村: 映画の撮影シチュエーションのなかでカメラが“消える”ということはあるんです。大きな撮影機材を現場に持ち込んで撮影していても、その瞬問はその場から撮影者が“消える”。そういう状況でよい映像が撮れていることは結構あるんです。だから、「場」に入っていくということは、実は、とても深遠な行為なのかもしれませんね。

大野: お産にかかわる医療者についても、それはあります。お産の部屋に入ってきただけで、よい方向にも、悪い方向にも、雰囲気を変えてしまう人がいる。部屋に入った瞬間にそれがわかるんですね。言葉にはしにくいのですが、「場が乱れる」「気が壊れる」というか、そういう人が現場に入ると、お産は難しくなる。それくらい微妙な感覚がお産の「場」には流れているのだと思います。

龍村: これはとても大切な部分だと思うのですが、命の営みにしても、自然界の営みにしても、すべては1回きりしかないんです。その一瞬に生まれて、その一瞬に消えていく。その貴重な運行のなかで、「手を出すべきか、引くべきか」「撮るべきか、撮らざるべきか」「やるべきか、やらざるべきか」ということを決めていくときには、“気”や“場”という言葉でしか表し得ないもの、しかし、それこそが大きな判断材料になっていくのだと思うんですね。これは、ある意味で現代の枠組みには収まりにくい発想なのかもしれませんが……。

大野: お産に関していうと、人が生まれてくる自然なプロセスにその人が寄り添えるかどうかがとても大きいのだと思います。

実は、宮崎さんにはお産の撮影のために自宅と明日香医院を3往復してもらったこともあるんです。お産は生まれるまでどう進むかわからないこともありますから、きていただいてもお産になるとは限らない。でも彼女は嫌な顔1つせず、そのことを受け入れてくれるんです。自然なプロセスをきちんと理解されているからこそ、それができるのだと思います。

お産の場面を映画にするということにはあまり乗り気ではありませんでしたが、宮崎さんがカメラを回すということになって、私には断る理由がなくなってしまったんです(笑)。
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