宮崎: |
私はとにかく撮影前から緊張していました。写真とムービーは違いますから、いろいろと悩んでしまって……。実際にその場になってみないとわからないこともありますからね。
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大野: |
研究もされたんですよね。
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宮崎: |
はい。「地球交響曲第一番」から「第四番」までの映像を見たり、お産のビデオを見たり。どういうカメラワークがよいのか、自分なりに研究しました。
でも、ゆかりさんの出産の予定日の直前まで他の仕事に忙殺されていて、精神的にあまり十分な準備はできなかったんです。そんな状況で予定日を迎えて、でも、予定日を過ぎてもなかなかお産にならなくて……。いつお産になるかわからないので、私はずっと家にこもって、いまかいまかとハラハラしていたんです。
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大野: |
当のゆかりさんは結構、いろいろなイベントなどにも参加して出歩いていたのに(笑)。
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宮崎: |
私だけ待機していたんですよね(笑)。それでいよいよ「お徴がありました」というので、明日香医院に駆けつけて、撮影機材を持ち出して、シミュレーションを始めてみたものの、カメラの操作がスムーズにいかないし、重いコードを引きずりながら撮影しなければならないこともわかって……、もう散々な状況でした。ここにきてはじめて、現実が目の前に立ち現れた感じでしたね。
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大野: |
あのコードがくっついていたら部屋を回れませんでしたよね。
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宮崎: |
そうですね。思ったより太いコードがモニターにつながっていて、助手の方もいたのですが、お産のシーンを撮る段階では、コードは外してしまいました。一応、スチール写真のためのカメラも用意していたのですが、結局、それも置いてしまって、無我夢中でムービーのカメラを回していました。
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大野: |
私は、映画を見るまで宮崎さんがああいうカメラワークで動いていたというのは全然わかっていませんでした。赤ちゃんが生まれて、ぱっと見たら、お兄ちゃんの景一君が感動して泣いていたので、「あっ、このシーンを撮っているかな?」と思って宮崎さんに目をやったのですが、そのときはゆかりさんにカメラが向いていた。
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龍村: |
それから、すーっとカメラが景一のほうに流れていってね。
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大野: |
ええ。ちゃんと景一君も映っていました。だから、本当に私はどういう映り方をしているのか、映画を見るまでわからなかったんです。 |