明日香医院
大野明子の著作など インタビュー記事 > 子どもを産むということは、「いのち」を産む〜
子どもを産むということは、「いのち」を産むということです
●いのちの価値は比べられない

「七歳までは神のうち」と言われますが、生まれたての赤ちゃんを見ていると、日々この世の人になっていくのがわかります。赤ちゃんは、まるで、あちらの世界からこちらの世界に舞い降りてきた天使のようです。

だれもが、無事、健康な赤ちゃんが生まれてきてほしいと願いますし、それはお産にたずさわる医療者の願いでもあります。けれど現実には、流産は少なくないし、死産や生後まもなく亡くなってしまう赤ちゃんもいます。どうしても生きているのがしんどい、もうこれ以上がんばれない、とあちらの世界に帰ってしまう赤ちゃんは、一定の割合でいます。親にとっては、とてもつらくて、こんなに悲しいことはないのですが、赤ちゃんは、それでやっと楽になれたのかもしれません。妊娠・出産といういのちの営みには、どんなに医療が進んでも、人の力ではどうにもならないことがあるのです。

死産や赤ちゃんの死に直面したとき、医療者である私たちも本当につらいし、もしかしたら何かできたのではないかとみずからを強く責めもします。けれど、結局のところ、ご両親とともに、事実を受け入れるしかありません。死産や赤ちゃんの死は、お産にたずさわる限りこれからも避けられず、受け入れていかなくてはいけないことだと重い覚悟をしています。

こういう場面に何度も遭遇するうち、私は、たとえば流産した赤ちゃんが99歳まで生きた人よりも価値がないということはないし、ハンディキャップをもった子どもが、そうでない子どもと比べて価値がないということはないし、1歳しか生きられなかった命が10歳まで生きられた命より価値がないことはない、と考えるようになっています。どんないのちにも意味があり、他と比べることのできない価値があると思います。


●また産めるという救い

死産や赤ちゃんの死に際し、もし救いがあるとすれば、また産むことができる、またご両親のところに戻ってきてくれる、ということだと思います。

かつて、お腹の中で亡くなった子どもが戻ってきてくれたという経験があります。その赤ちゃんは、妊婦健診で18トリソミーという染色体異常を疑い、お母さんを高次施設に紹介しました。この病気は、先天性心疾患を合併することがほとんどで、その病気の程度によっては小児期まで生きられることもあります。その子は心臓の病気の程度が重く、出生後の生存は難しいと想像できました。そして高次施設に入院当日、赤ちゃんは元気で、心室不全の兆候もなかったのですが、翌朝、赤ちゃんはお腹の中で死んでしまったのです。「お母さん、大変だから、もういいよ。ありがとう」と言って、神様のところに帰ってしまったように感じました。男の子でした。

その後、ご夫婦に次の赤ちゃんが授かりました。驚いたことに、次の赤ちゃんの予定日は、亡くなった赤ちゃんの予定日の、1年後のちょうど同じ日だったのです。そして今度の赤ちゃんは無事に生まれました。女の子でした。

生まれた直後の赤ちゃんは、目を開いている子も閉じている子も、さまざまです。その子は、直後から目をしっかり開いていて、お母さんの顔を10秒くらいじっと見て、その後、お父さんの顔をじっと見て、それから私をじっと見て、またお母さん、お父さん、私と順に顔を見るということを何度もくり返しました。そんなふうに長時間はっきり目を開いているのはまれです。しかもはっきり目線が合い、3人を順繰りにじっと見るのです。赤ちゃんからの「帰ってきたよ」というメッセージだとしか思えませんでした。

そんなわけで、亡くなった子どもが戻ってきてくれることがあると思っています。また産める、戻ってきてくれるというのは、子どもを亡くした親にとっては大きな救いだと思います。
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