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お産の家便り 2005年
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2005年 12月 [平成17年12月7日]
12月 会場内広場の賑わい。 (拡大)
とうとう今年も最後の月になってしまいました。今年もまた、あっという間に過ぎてしまったと感じています。

今年の最終回を書くにあたって、1月からの記事を読み直してみました。そして記事には書かなかったことも含め、そのときどきのできごとや気持ちを思い出し、この一年もたくさんの人に支えられ、助産師たちと一緒に本当によく頑張ってきたなあ、たくさんの人と愛情を分け合うことができたなあと感謝しています。

12月 揃いの赤いTシャツでダンスを披露するグループ。(拡大)
11月19日と20日の両日、日本ダウン症フォーラムin静岡実行委員会とJDSN(日本ダウン症ネットワーク)主催の「第10回日本ダウン症フォーラム2005 in静岡」が開催されました。約1年半の準備期間を経ての開催と聞いています。実行委員長は、小著「子どもを選ばないことを選ぶ」の中でインタビューさせていただいた臨床遺伝医・長谷川知子先生でした。メインテーマ「ダウン症の成人をとりまく環境」は、長くダウン症の子どもたちの成長を見守ってこられた長谷川先生ならではと思いました。

11月 会場の片隅で手拍子で一緒に踊る長谷川知子先生。 (拡大)
私もどうしても参加したいと願っていましたが、19日はお産のため東京を離れられず、20日午後のみ、ようやく日帰りで参加することができました。会場の静岡県立短期大学に入ったとたん、とても明るく賑やかな空気があふれていて、主催者と参加者の気持ちがひとつになって華やいでいることがわかりました。会場運営にはたくさんのボランティアスタッフが活躍されていました。その中にはダウン症の本人も複数いらっしゃり、いかにも楽しそうに役目を果たしておられる様子がとても印象的でした。

体育館では、フェスティバルと名付けた太鼓、歌、踊りやピアノの発表がありました。会場の観衆のノリもたいへんよく、立ち上がって踊り出す人もありました。全員参加の踊りでは、私も思い切り踊って楽しかったです。

12月 「ニット工房ライク」ファッションショー。左から6番目が長谷川知子先生。(拡大)
また、編み物の授産所「ニット工房ライク」の作品のファッションショーでは、次々と大胆な色彩のおしゃれなニットが紹介されました。モデルは編み手として働くダウン症の成人のかたたちなのですが、最後は長谷川知子先生もモデルとして檀上に登場し、一緒にポーズを決めておられました。長谷川先生のとても楽しそうな表情に、先生のお仕事の原点を見せていただいたように思いました。

12月 会場入り口にて。手に持っているのは、フェスティバルでプレゼントされたマラカスです。最後にこれを皆で鳴らして踊りました。 (拡大)
展示コーナーでは、複数の授産施設から作品の販売があり、買いものも楽しみました。織物の「ゆにーく」はすてきなお店で、不思議にすてきでおしゃれな色合いの織物で作った携帯ケースやティッシュケースを求め、スタッフたちにおみやげとしてプレゼントして喜んでもらいました。また、コーヒーとクッキーもとてもおいしかったです。

今回のフォーラムを記念して、DVD「私、輝いています」が制作されています。メインテーマ「ダウン症の成人をとりまく環境」に添って、数人の成人たちの仕事や暮らしぶりを取材したドキュメンタリーです。明日香文庫にも置いていますので、どうぞご覧ください。

残念ながら、第11回の開催は決定していないようです。10回という節目を越え、さらにフォーラムが継続できることを、応援団のひとりとして祈りたいと強く思いました。
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2005年 11月 [平成17年11月2日]
11月 宮城大学の上映会運営スタッフと記念撮影。手ぶれご容赦。
いよいよ11月。今年も残すところわずか2ヶ月となってしまいました。気温も急速に下がり、冬の気配も濃厚です。ああ、あれもできていない、これもできていないと、そんなことばかりが頭をかすめます。この、なんとなしのあせりの感覚を、なんとかして仕事への前向きな活力へと変換したいところです。

ところで、10月半ば、仙台市郊外、宮城大学での「第五番」上映会に行ってきました。道すがら、すでに紅葉した木々に気候の違いを実感しました。

11月 宮城大にて、左から大野、齋藤先生、明日香医院助産師・石崎、太田先生、明日香医院助産師・藤木(拡大)
宮城大学には看護学部があり、助教授で助産師でもある塩野悦子先生を中心として、学園祭の一環として大学の援助も受けての上映会でした。看護学部の学生さんたちも実行委員として活躍しておられました。お客様は学生さんよりも一般のかたが多かったようです。

上映会のあと、明日香医院のお産の写真を綴ったフォトストーリーを観ていただいたり、お話をさせていただいたりしました。

質疑応答の時間に「これまで、どんなお産が印象的でしたか」というご質問を会場の助産師さんからいただきました。私にとってはどのお産も記憶に深いのですが、また産みたいとおっしゃっていただいたり、次のお産で戻ってきてくださることが、本当に嬉しいですとお答えしました。

11月 宮城母乳の会の打ち上げ会での記念撮影。最後列右から6番目が太田先生、そして7番目が黒川先生 (拡大)
上映会場には、産科医仲間の青森県弘前市・健生病院の齋藤美貴先生、群馬県桐生市・優和クリニックの太田裕穂先生がいらしてくださいました。

また、同日、仙台市内で宮城母乳の会の研究会が開かれており、そこに同じく産科医仲間の岩手県盛岡市・黒川産科婦人科医院の黒川賀重先生と久美子夫人が参加していらっしゃいました。そのご縁で、母乳の会の打ち上げ会にのみ参加させていただき、楽しい時間を過ごしました。宮城県における母乳への熱い思いに感動し、元気をもらいました。

11月 ホトトギス(拡大)
ふだんは、ほとんど遠出をせずお産中心の生活をしています。日々の中にお産のすべてがあるとこころして仕事をしていますが、それでも自分の立ち位置をあらためて確かめたくなることもあります。そんなとき、ときにはこのように外に出て、お産やおっぱいのため日々努力を重ねておられるお仲間にお目にかかれることで、自分たちの仕事を客観的にふり返り、もう一度足元を見直すと同時に、明日への力を取り戻すことができるように思います。そのようなお仲間があることに、こころから感謝した1日でした。

11月 神田川沿いの遊歩道で (拡大)
秋が深まり、庭のホトトギスが紫の濃淡の美しい花をつけています。なんとも言えず、たおやかでつつましやかな日本的な花です。その姿を見ていただきたくて、写真に撮ってみました。

また、ポールと私の散歩道である神田川沿いの遊歩道も、すっかり秋の気配です。10月末の日曜日の午後、おだやかな日ざしに誘われて、吉祥寺まで足を伸ばしました。秋の花が咲き、柿の実が熟していました。
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2005年 10月 [平成17年9月27日]
10月 前夜は犬山城の隣のホテルに泊まりました。
長く続いた残暑もようやく和らいだようです。風が冷たくなって、ようやく過ごしやすくなりました。新米、きのこ、栗など、おいしいものがめじろ押し。食いしん坊には嬉しい季節です。

9月25日、愛知県小牧市の産科医、三輪貴彦先生・茂美先生ご夫妻が率いるみわレディースクリニック主催で、「地球交響曲第五番」の上映会が行われました。また上映後、私も、明日香医院のお産の写真をお見せしたり、お話をさせていただく機会をいただきました。

600名収容の会場は、みわレディースクリニックの妊婦さんたち、お産後のかたたち、そのパートナー、それから、助産師さんたち、そのほかのお客様で満席でした。私も客席で一緒に映画を観ていましたが、お産の場面ではみなさんが固唾を呑んでおられる様子を感じました。このような形のお産があることを多くのかたに知っていただけることを、私は本当に嬉しく思います。

10月 上映会終了後、お揃いのポロシャツ姿のスタッフ一同で記念写真(拡大)
また、私はこれで10回目の「第五番」でしたが、観るたびに新しい発見があると同時に、お産という仕事といのちに対し、あらためて気持ちが引き締まります。三輪先生ご夫妻と、おそろいの黒のポロシャツ姿で会場運営に当たってくださったクリニックスタッフのみなさまに感謝いたします。

ところで、三輪先生ご夫妻は私の大切な友人です。今年2月に同じく上映会を開いてくださった北九州市の足立クリニック・松崎徹先生とともに自然なお産をめざし実践する同志です。松崎先生も前日より小牧入りしてくださり、日々のお産のこと、感じていること、考えていることなどなど、いつまでも尽きぬ話をしました。仲間がいてくださるありがたさをしみじみ思いました。

三輪先生のクリニックには、昨年夏、分娩台のない板張りや畳敷きのお産室3室ができました。昨日は上映会の前にクリニックにおじゃまして、お産室の見学もさせていただきました。医療器具が目立たない形で配置され、家族とともにお産を迎えられる居心地のよいお部屋でした。お産室での分娩台を使わないお産か、分娩台のお産を産婦さんに選んでいただいているそうですが、現在で8割以上のかたがお産室でのお産を希望されるそうです。

松崎先生のところにも、昨年、同様の板張りの部屋ができています。仰向けでないお産は、本来生理的であたりまえのお産の形です。こんなふうに少しずつ、けれども着実に仰向けでないお産を選ぶことのできる産婦さんが増えていること。「分娩台よ、さようなら」を書いた6年前には、まだ想像できなかったことでした。

10月 三輪貴彦先生、茂美先生ご夫妻と (拡大)
先月の便りに書いたように、お産をとりまく状況は厳しいとはいえ、希望の光もきらきらしています。たくさんの元気と勇気をもらって、本当に嬉しい2日間でした。三輪先生、松崎先生、お世話になったみなさま、ご来場くださったみなさま、大変ありがとうございました。

10月には宮城大学の大学祭で、五番の上映会後お話をさせていただく予定です。看護の分野の学生さんたちに精一杯のメッセージを伝えられたらと思っています。
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2005年 9月 [平成17年9月6日]
9月 杉並木:江戸時代に思いをはせて歩きました。(拡大)
お盆を過ぎの夕暮れどき、お産の家では虫の声が聞こえ始めます。コオロギ、マツムシに混じって、ときどき、スイッチョンと聞こえるのは、ウマオイですね。9月の終わりまで、毎晩賑やかでとても楽しいです。木製建具で隙間の多い造りの家なので、ときどき家の中にも入ってきます。これも楽しいです。

ようやく長くて暑い夏が終わり、仕事の秋。元気に過ごしたいと願っています。

ところで、最近マスコミでも、産科医が足らないというニュースが流れるようになりました。家族とともに自由な姿勢で迎えるお産が少しずつ広がるかのように見える一方で、お産を取り巻く医療の状況は、必ずしも未来を楽観させるものではありません。産科医の不足は現実的な問題になりつつあります。産科医のみならず、助産師養成校の閉鎖による助産師不足も、今後深刻化してくると想像されますが、これについては、また機会を作って書くことにします。

産科医不足の原因として、医師の3K(産科当直が多くてきつい、汚い、訴訟が多くて危険)と言われるように、産科医の仕事が楽ではないことがあります。この10年ほどは新規入局者が減少している上、途中で産婦人科を辞め、他科に変わる人も少なくありません。経験5年以上で日本産科婦人科学会から認定される新規の専門医は、毎年300人程度ですが、年々少しずつ減少しています。その結果、産婦人科医師の52%以上が50歳以上と高齢化が進んでいます。

さらに、とくに若年層で女性医師も増加し、現在経験年数10年未満の産婦人科医師は50%以上、最近では60%が女性です。したがって妊娠・出産などのため当直業務に従事できない人の割合は、今後ますます増加するでしょう。また、産婦人科の中も専門が細分化され、産婦人科医といっても、婦人科や不妊のみを専門とする医師や、日中の外来のみ担当する医師もあり、夜間も当直し産科臨床にたずさわる産科医ばかりではありません。

この状況に決定的に追い打ちをかけることになったのが一昨年の研修医制度の改変です。旧制度では、卒業後すぐ、大学や研修病院で専門科目の研修を開始していましたが、卒業後2年間各科を一定期間ずつ研修してまわり、規定時間以上の勤務をさせてはならないことになりました。この結果、現場には2年間新人がいない状況となり、どこの大学も人手不足で悲鳴が上がっています。

日本産科婦人科学会の調査によれば、平成15年から16年度にかけて全国の1096病院中117病院で、産婦人科医師がゼロになってしまいました。医師を派遣している大学が人手不足のため医師の引き上げを行ったり、退職者の後任を派遣できなかったりなどの事情によるものです。それらの施設では、産婦人科医師がいなくなった結果、病棟も助産師などのスタッフも存在するにもかかわらず、分娩の取り扱いが休止になりました。

ゼロにならないまでも、産婦人科医が定数を割ることによって、分娩の取り扱いを休止する施設もあります。平成16年度の全国自治体病院の調査では52.1%の施設で産婦人科医が不足しているそうです。分娩取り扱い休止の実例は、北海道や東北のみならず、関東圏や関西圏にもあります。

さらに、やはり厚生労働省研究班による平均年齢33.1歳と相対的に若年の産婦人科医2100人を対象としたアンケート調査では、26.8%が産科診療を止めたいと思っていることがわかっています。私の周辺でも、ごく最近、同世代の働き盛りの男性産婦人科医ふたりが、24時間お産にたずさわる生活を止め、外来診療のみを行う働き方を選ばれました。

こういった状況の打開法として、分娩のセンター化、集中化が提案されています。すなわち、大規模施設で分娩を取り扱うことにより、人的資源を集約化し、効率を上げ、人手不足を補い、同時に産婦人科医の負担を減らそうというものです。センターで検診もすべて行うことは困難なので、外来部分は診療所に託すオープンシステムが考案されています。

ただし、これはハード面だけを考えても、実現困難な提案に思えます。東京のような大都市では、分娩数2000から3000規模のセンターを複数作ることによって、すべての分娩を吸収することも可能でしょう。けれども、地方ではどうでしょう。ほとんどリスクのない産婦が、深夜の雪道を片道1時間以上かけてお産に駆けつけなければならないことが、はたして現実的か、あるいはお産の安全性を高めることになるのでしょうか。また、現在、センター病院も産婦人科医師が不足しています。そういう現状で、さらに分娩が集中したとき、センター病院に大量の医師が補充されない限り、センター病院そのものが破綻します。

9月 大涌谷:ポールも一緒に山道を登りました。(拡大)
では、どうすればよいのでしょう。

お産はきわめて個人的ないのちの営みなので、私たちのような小規模な施設でこそ、本来の生理的安全性が得られ、結果としてほとんどが経膣分娩できることはますます確信しているし、そのためささやかでも存続する意味があると思っているのですが、それでも自分自身の中の体力や気力の限界につきあたっています。

日本の年間分娩数115万を産婦人科専門医数で割り算すると200強になります。この数字を、ひとりの専門医が引き受けるべきお産の数と理解すると、私はなんとか、ギリギリ責務を果たしているという程度の働きに過ぎません。これだけお産にどっぷり浸かっていても、ようやくギリギリなのだと思えば、お産事情が甘くないことをあらためて体感します。もちろん、すでに書いたように、お産に従事して いない専門医も少なくないので、責任数をはるかに超えて働いてくださっている産科医もあることになり、驚嘆の気持ちでいっぱいです。

私も明日香医院の助産師たちも、お産が大好きなので、ほんの少し休息をすると、また元気になってお産に向き合うことができます。そして、少なくとも、日々、私たちのできる臨床を誠実にこなしていくことが未来につながるのだろうと信じつつ、全体の動きを見守りたいと思います。

また、産む人たちにはみずからのお産をみずからのものとして受け止め、真正面から取り組んでいただきたいと思います。そしてそんなご自身の体験をこれから産む人と分かち合うような機会を持っていただけたら、多くの人にお産の大切さを理解してもらえるのではないかと考えます。

今月の写真は箱根です。箱根は東京より湿度が低く涼しくて、おさんぽをするところもたくさんあり、とても楽しい休暇になりました。
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2005年 8月 [平成17年8月16日]
8月 夏の庭。手前にカツラ、その先にケヤキとシイ。さらに大地主さんのヤマザクラ。(拡大)
また暑い夏がめぐってきました。みなさまはどんな夏をお過ごしでしょうか。家族そろって楽しい休暇をお過ごしでしょうか。

ヒートアイランド現象とやらで、年とともに都心の気温は上昇しているそうです。たしかに街に出ると、焼けたフライパンの上で蒸し焼きにされているかのように暑いし、敷地内に一歩足を踏み入れると確実に気温が下がり、少し涼しいと感じます。

小さなお産の家を開院し、6年が過ぎました。のんびり、ゆっくり、ささやかに、けれども、とことん、ほんもののお産の真実を求めたいと願っての開業でした。ほんの少しとはいえ、ほんものに近づけた感覚をはっきり持てるようになっているので、願いの半分は十分すぎるほどかないました。

けれど、開業以来、またたくまに間に大きな流れに飲み込まれたかのように、仕事は忙しくなりました。そんな激流の中で、必死に、懸命に、お産と向き合って過ごしてきたように思います。

どうやら私は仕事人間のようです。この仕事が大好きで、つらいことも多いけれど、幸福も幸運も数限りなくあり、どんなに感謝しても足らないと思っています。

この間、私的に大切な事情や身体的な事情があっても、仕事を優先させてきました。仕事の性質上、そうするほかなかったからでもあり、そうしたかったからでもあります。家族にもそれを当然として受け入れてもらってきました。そのことに不満はありませんし、だからこそ、得られた結果、そうでなければ得られなかった結果がほとんどだと思っています。

けれども、365日、24時間お産に拘束され、いのちを削るような日々を、つらいと思ったことがないわけではありません。そんなとき、患者さんや妊婦さんの身勝手やわがままに出会えば、誠心誠意の気持ちが萎えることがあったのも事実です。

お産の神様に「私でよければ、どうぞ使ってください」と申し出た決心は変わっていません。けれども、体力と気力に限りがあることを自覚し、このまま燃え尽きて倒れてしまわないために、つまり、私自身を有効に機能させるために、休息が必要だと判断しました。助産師スタッフたちにもほっとできる期間が必要でした。そこで7月と8月のお産は、リピータさん以外、お休みさせていただくことを決めました。

昨年秋、大決心でお産の初診をお断り後8ヶ月、ようやく休息の時間かと思っていましたが、現実はそんなに甘くありませんでした。大変ありがたいことではありますが、リピータさんのお産が少なからずあり、相当数の赤ちゃんが生まれています。さらに、6年を経て少し疲れたお産の家の改装工事も行いました。また、休診を取れば前後の外来は混み合って忙しくなり、ゆっくり診療の心境とはおよそ相容れないこともわかりました。助産師スタッフたちは長期に休暇を取ることはできますが、複数人数の休暇とお産が重なると、勤務構成が難しくなることもわかりました。

そんなわけで、どうしたら上手に休んで長持ちできるかという大きな課題を残す今年の夏となりそうです。また、来年の夏も一定期間お産をお受けしない方針でいることをお許しください。

とはいえ、明日香医院も現在お盆の休診期間です。助産師スタッフたちは交互に休暇を楽しんでいます。私も前半は、たまった原稿書きに精を出し、後半は、留守番嫌いの次男ポール(コーギー犬)も同行し、箱根で数日を過ごす予定です。大学1年生の長男は、もはや一緒に出かけてはくれません。ちなみに箱根は、いざとなったらお産のために戻れる距離という選択肢です。

残りの夏が、おだやかで明るいものでありますように。
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2005年 7月 [平成17年8月16日]
7月 写真1:水と戯れていたポールは (拡大)
6月のお産の家便りの続きです。

6月10日には、とても嬉しいことがありました。2人目、3人目と続いてお世話していたリピータさんの4人目と、初産から2人目をお世話していた同じくリピータさんの3人目が、夕方から夜にかけて、連続で生まれました。

4人目のご家族は、上から女の子、男の子、女の子、そして今度はお父さんそっくりの男の子と、見事なモザイク模様になりました。3人目のご家族は、上から女の子、男の子、そして今度は女の子で、その次は男の子を予想させる構成です。

おふたりとも、もちろんみごとな安産で、お世話する私たちも安心してお世話に専念し、嬉しくて幸せでいっぱいになりました。この仕事の醍醐味です。

7月 写真2:いきなり水に飛び込み(拡大)
子どもがたくさんというのは、産める幸せ、育てられる幸せがあるわけで、本当にいいなあと思います。これから子どもを産む世代の助産師スタッフたちが、さかんにうらやましがっていました。そうでしょうとも。

そして、とうとう明日香医院で4人目という妊婦さんが出現しました。思い起こせば、初産の最初の健診は、九段時代の自宅のマンションでした。妊娠中にお産の家が完成し、ま新しいお産の家で女の子が生まれました。その後約2年ごとに男の子がふたり。元気でわんぱくだけれど、きげんと聞き分けのよい子どもたちに育っています。彼女はいつのまにか、たくましいお母さんに成長しておられます。

7月 写真3:命からがら引き上げられました(拡大)
そして、来年の春には4人目。とても嬉しそうに外来を再訪してくださり、嬉しい再会です。またしばらくの間、健診、お産とおつきあいができるのが、とても嬉しく楽しみです。

今月の写真は、夏休み中、福島県白河市近郊の阿武隈川の渓流で水遊び中のポールと私です。当初水と戯れていたポールは(写真1)、何を思ったか、いきなり大胆にも流れにざぶんと飛び込み(写真2)、命からがら引き上げられたところ(写真3)です。リードがなければ、いったいどうなっていたことか、本当にびっくりしました。
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2005年 6月 [平成17年6月2日]
6月 ザクロの花。
木の姿は、「家」の中の「木々と花」の3枚目をご覧ください。(拡大)
素肌にTシャツが心地よい気候になりました。日が落ちてくると、夕立ちがさあっとやってきて、地面を濡らしてくれます。そのたび、木々の緑が濃くなっていくようです。

6月の庭は、ザクロがとてもかわいい花を咲かせます。とびきり明るいオレンジ色で、ラッパのような形をしています。昨年はとても花数が多かったのですが、今年は少な目なのは、どうしてでしょう。

梅の木も、たくさんの実をつけていますが、やはり昨年より少ないと感じます。梅の実は熟した頃にもいで、氷砂糖につけてジュースにしたり、梅酒をつけたりします。自家製と思うだけで、とてもおいしく感じます。

明日香医院は、今年でようやく7年目になりました。当院で、ふたり、3人とお産されるかたも、次第に増えています。「また、ここで産みたい」と戻って来てくださるのは、この仕事をする中での何よりの喜びだと私は思っています。子どもがかわいくて、また産みたいと思えるということ、お産がすてきな経験になりうること、そして、お産というプライベートなときをともに過ごす介助者として私たちを選んでくださったこと、かねてより顔見知りのパートナーと成長した子どもとともに、次の赤ちゃんを迎えられることなど、嬉しさの要素は、本当にたくさんあります。

初産は別の産院でしたが、ふたりめ、3人目、4人目とお世話したかたがあります。上から女の子、男の子、女の子、そして男の子と順序よく生まれ、2男2女のお母さんです。4人目のお産後、上の子どもたちが面会のため来院したときのこと。一番上のお姉ちゃんから順に3人が行列を作って歩いていたのが、なんともかわいかったことを思い出します。

そんな彼女が先日、10ヶ月の乳児健診でいらしてくださいました。お母さんにゆったり育てられている4人目の坊やは、とてもゆったり、きげんのいい子に育っています。3人目を産んだばかりのお母さん、2番目を産んだばかりのお母さん、最初の赤ちゃんで手一杯のお母さんたちもいらしていて、皆で楽しくおしゃべりしました。彼女の話がとてもすてきだったので、紹介します。

「お産後1ヶ月くらいしたときに、夫が4人産んでよかったなあと言ってくれました。それが本当に嬉しかったです。」
「4人目で、子育てが本当に楽しめるようになりました。上の子どもたちを見ていると、5歳を過ぎれば、もう手がかからなくなるとわかっています。だから、安心して今の赤ちゃん時代を楽しんで育てられます。」
「上の子どもたちが、よく赤ん坊の面倒をみてくれます」

これから子どもを産む人たち、子どもを産むことをためらう人たちに、彼女の話を聞いてもらいたいと強く思いました。

今年は、彼女と同様、初産は別のところだけれど、その後明日香医院でふたり目、3人目を産み、現在4人目を妊娠中というかたが3人もいらっしゃいます。お産と上の子どもたちの様子が今からとても楽しみです。
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2005年 5月 [平成17年5月25日]
5月 5月初めの庭です。モッコウバラがよい香りで咲いています。けやきは屋根を越えて伸びました。 (拡大)
風薫る5月、春先のような寒い日もあれば、初夏のように日ざしの強い日もあり、変化の激しい毎日です。

明日香医院の庭は、新緑特有の燃えるようにあざやかな緑が少し落ち着き、葉色は深さと濃さを増してきました。6年前、ちょうどたてものの高さと同じ背丈だったけやきは、今では幹も太く、本当に大きくなりました。たくましくたのもしく、家とお産を守ってくれているようです。

ところで4月は、院外でお話しさせていただく機会が3回ありました。もちろん、私にとってはまれにみる多さで、ちょっと大変でした。

講演のテーマは、お産です。いのちが生まれることのすばらしさ、あたりまえに産む大切さを精一杯お話しします。最初に宮崎雅子さんの写真によるお産のフォトストーリーをご覧いただくのですが、言葉を超えたメッセージを確実に伝えてくれるようです。

9日の浜松は「地球交響曲第五番」の上映会にあわせた講演会でした。「第五番」のお産の場面は、やはり圧倒的です。場内からはすすり泣きのような声も聞こえます。講演後よい質問や感想をたくさんいただいて、とても嬉しく思いました。

25日には東大での恩師が現在教授として勤務しておられる関係で、学習院女子大で講義をしました。1年生対象の90分間の講義でしたが、私語もなく、真剣に聞いてくれたのがとても印象的でした。講義後のレポートを読ませていただきましたが、お産の仕組みや起きあがって産むことの利点、そのほか、講義内容の理解度の高さに非常に驚くとともに、ああ、この人たちには期待できると、つくづく嬉しくなりました。お産に関するさまざまな情報が錯綜する中、これから産む世代の人たちに誠意を持ってきちんと伝えることは、実り多い仕事のようです。講演には、時間も気力も体力も必要としますが、それだけの価値がありそうです。よい経験でした。
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2005年4月 [平成17年5月20日]
4月 散歩のお供はコーギーのポールです。なかなかカメラ目線をしてくれず、撮影には苦労しました。(拡大)
月初めの更新をめざしているはずのお産の家便りですが、年度の初めはなにかとあわただしい日々でした。お産にも日々追われているうち、更新が大変遅れてしまいました。

忙しかったのは、仕事のためだけではありません。4月は、なんと言っても桜です。私は桜が咲き始めるとそわそわして、連日のようにお花見に出かけたくなります。


4月 高井戸の桜並木。川面に花が舞い降りて、花筏になって流れます。(拡大)
今年も、かつて通算15年近く住んでいた九段まで2度にわたって出かけ、千鳥ヶ淵を散策しました。千鳥ヶ淵の桜は十分な年輪を経て、貫禄のある大木の数々となっています。10年ぶりにボートにも乗りました。お天気もよく、日ざしも風もやさしくて、とても幸せな時間でした。



地元高井戸から浜田山にかけて約2キロ、神田川の両側に続く桜並木も、本当にすてきです。引っ越した数年前は本当に若い木々だったのですが、年ごとに太く大きくなって、今年は堂々たる姿に見えました。まるで、小さな子どもたちの成長をながめているうち、いつのまにか背丈が追い越されたかのような印象です。

4月 新緑と桜色のコントラストが夢のようにきれいです。(拡大)
千鳥ヶ淵に比べれば、お花見の人口密度は100分の1程度でしょうか。ゆっくり散策できます。数年先には都内有数のお花見スポットになってしまうかもしれません。

神田川のそぞろ歩きにデジタルカメラを持って出かけました。このホームページの写真は、あすかネットの紹介写真をのぞき、すべてプロカメラマンの作品なので大変気が引けるところですが、今回は思い切って載せてみます。どうぞご覧ください。
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2005年 3月 [平成17年3月8日]
3月 ミモザ (拡大)
三寒四温の言葉のように、日ざしのとても暖かい、うららかな日の翌日にボタン雪が舞うなど、変化の大きい天気が続いています。それでも少しずつ空気がやわらかく暖かくなって、春がすぐそこまでやってきていることがわかります。

明日香医院の玄関のミモザは、すでに咲き始めました。すでに昨年末から、つぼみは次第に色を増し大きくなって、2月の末から、ところどころ、小さくてふわふわした、黄色のコンペイトウのようなかわいらしい花が咲いています。「はる、春、ハル、やっと春が来た」と小さな声で歌いたくなるような、そんな気持ちです。

ところで、2月20日、北九州に行きました。自然なお産をめざす産科医仲間の松崎徹先生ひきいる足立クリニック主催の「地球交響曲第五番」上映会でお話をさせていただくためです。「この季節、ふぐがとてもおいしいですよ」と嬉しいお誘いいただき、助産師ふたりを連れて出かけました。「どうか、留守中に生まれないでね」と予定日の近い赤ちゃんたちにお願いしておいたかいがあったのでしょうか、明日香医院は静かな週末となりました。

松崎先生との出会いは3年前にさかのぼります。「五番」のテーマは「全てのの存在は繋がっている」ですが、まさに偶然ではないご縁を感じます。その後、足立クリニックは2台あった分娩台のうち1台を捨て、板張りのお産の部屋を作ってしまわれました。そのお部屋では、分娩台を使わず、産婦さんは自由な姿勢をとり、お布団の上で赤ちゃんが生まれます。そのお知らせを聞いたとき、嬉しくてわくわくしました。

北九州の上映会場ではお客様たちと並んで、2ヶ月半ぶりに「五番」を観ました。通算7回目でしたが、新たに感じることが、驚くほどたくさんありました。

「五番」の中で一番難しいのは、物理学者のアーヴィン・ラズロー博士のパートだと思いますが、今回初めて、ちょっとわかった気がしました。ラズローさんの「全体を繋ぐ目に見えないものを受け入れる」という言葉に、しみじみ、感じ入り、その後も何度も反芻しています。

お産の仕事をしていると、本当に嬉しいこと、ありがたいこともたくさんありますが、どうしようもないこと、せつないこと、つらいことも少なくありません。受け入れなくてはならないことがわかっていても、受け入れることがとても難しいこともあります。

ダライ・ラマ法王は「思いやりのこころは圧倒的にこの社会に満ちている」とおっしゃり、版画家の名嘉睦稔さんも「不幸が目立つけれど、何度考えても幸せのほうが多い」と語っています。つらいことの前に、つい幸せを忘れそうになっていて、そうそう、そうなの、と思い出すことができました。

3月末にラズロー博士の来日講演がありますので、お知らせします。私もお産の事情が許してくれれば、参加したいと願っています。
http://gaiasymphony.com/cgi-local/kouen5.cgi?vew=1
http://www.tokyopros.com/laszlo/
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2005年 2月 [平成17年2月4日]
2月 ボケとユキヤナギ (拡大)
節分が過ぎ、今日は立春。朝晩の冷え込みはまだ厳しいですが、日中の日ざしはまぶしいほどで、春が近いことを感じます。明日香医院の白梅は、すでに満開で、庭に出るたび香ります。

厳寒の1月は、お産の異常が続きました。身体が冷え切り、固く縮こまってしまっているからでしょうか。帝王切開のお産こそなかったものの、やむをえず搬送し、高次施設に助けていただくケースも発生しました。私たちスタッフにとっても長い、長い1ヶ月でした。

とはいえ、正常なお産が大部分であり、幸せがたくさんあったことも事実です。私たちはこの1ヶ月から学ぶべきは学び、今後に生かしたいと考えています。またこれから産む人たちには、お産のすばらしさと同時に、厳しさをお伝えする努力をしたいとあらためて考えています。

節分の日には、お産の無事を祈り、皆で豆まきをしました。明るい春になりますように。
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2005年 1月 [平成17年元旦]
1月 雪化粧したお産の家 (拡大)
あけましておめでとうございます。私たちの小さなお産の家も、はやくも6回目の新年を迎えたことになります。この家で生まれた子どもたちも1000人を超えました。今年もひとつひとつのお産を大切に、産む人と赤ちゃんに向き合って、日々を精進したいと考えています。

ところで、新年を機にホームページのささやかなリニューアルを行いました。論文や講演録などの記録をなるべく迅速に読みやすい形で掲載すること、新たにメンバーズエリアを設け、明日香医院の妊婦さんやお産後のかた向けに診療その他の情報を発信すること、それから、この小さなコラムからお産の家の様子をお知らせすることなどが、今回の主な変更点です。どうぞ、ときどきお立ち寄りください。
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