明日香医院
大野
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お産の家便り 2007年
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2007年12月 [平成19年12月]
12月クリスマスツリー(拡大)
今年も、院内おしゃべりの部屋にクリスマスツリーを飾りました。ちょっとずんぐりむっくりのもみの木に、助産師たちがかわるがわる飾り付けをしてくれました。夜は部屋の灯りを消し、ライトを点滅させると、とてもきれいで、温かい気持ちになります。今年も無事、終えることができることに感謝の気持ちで一杯です。
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2007年11月 [平成19年11月30日]
11月庭のカエデ-小さな秋(拡大)
一気に秋が深まりました。明日香医院の庭も、すっかり秋の終わりの景色です。

10月にも書いたように、医療、とくに産科医療は崖っぷちに立ち、負のスパイラルが始まっています。現状は厳しく、考えれば考えるほど、お先真っ暗で、考えることを止めたくなるほどです。そんな中で、とりわけなにが問題かと言えば、産むひとたちと私たちお産にかかわる医療者の間で、現状やその問題点への認識が乖離していることです。

最近の経験です。

この秋、キリスト教保育連盟というところから依頼を受け、保護者向けのニュースレターに「お産から始まる子育て」と題した3回の連載をしました。いずれも、このホームページ内、大野明子の著作などのエッセイのところに転載してあります。

3回目のタイトルを「産科医療の現在」として、産科医療が崖っぷちにあることを書きました。その中に以下に引用するようなくだりがあります。

「診療の現場にあって、一部の患者さんの要求が理不尽なまでに膨張していることを実感します。モンスター・ペイシェントという言葉にもうなずきます。医療は有限な公共財です。患者が消費者的な姿勢で医療を浪費すれば、枯渇してしまうでしょう。逆に大切な公共財との意識をもって受診していただければ、そのことが医療を支えます。

たとえば、日中から具合が悪いのに、夜中になって受診する人がいます。端的な例では、妊娠24週まで医療機関に未受診かつ前日から性器出血していた妊婦が、真夜中に買いものに出かけたスーパーで救急車を呼び、受け入れ先探しに手間取った事件が報道されたばかりです。まるで医療のみに非があるかのような報道に、深いため息をついた産科医は少なくないはずです。」

この原稿を入稿後1か月、ゲラ校正の段階になって、この部分に対して編集者からクレームをいただきました。モンスター・ペイシェントという言葉を使うことや、奈良の妊婦さんのことを書くことが、「若いお母さまがた」を傷つけるため、牧師さまから「削除せよ」とのご指示があったとのことでした。

上記の内容には患者さんや妊婦さんに対する批判を含んでおり、こういったことを書くことが品がよいとは言えないことは、私も十分に自覚しています。

モンスター・ペイシェントという言葉には毒がありますが、私が言い出した言葉ではなく、モンスター・ペアレントなどとともに、すでに定着している言葉です。医療者が患者から身体的暴力を受けることが頻発している事実もあります。

奈良の事件について今回書いた内容は、すべて報道されていることばかりです。奈良の事件は、すでに胎内死亡のための出血および死産であり、医療費は不払いのままとも聞いています。未受診の飛び込み出産は年々増加しています。医療に未受診の飛び込み出産に対しても、最善の医療を行うシステムの構築など、未来永劫に不可能です。

そんなわけで、品がないことが珍しくなくなってしまっている今、当たり障りのない、耳障りのよい言葉だけを並べているだけではいけないと思ったのです。モンスター・ペイシェント予備軍であるかもしれない若いお母さまがたに、医療は消費するものではないことを知っていただきたくことが必要だと考えたのです。

マスコミも、政治家も、そして宗教者も、そういうことが理解できない人が多数派であるらしいことに、今さらながら、がっかりしました。彼らのように、自分たちは火の粉が降りかからない立場にいながら、患者さんに降りかかる火の粉を、身を挺して振り払おうとしている医療者をさらにむち打つやり方で、さらなる努力を促す方法には限界があるだろうと思っています。秋元先生や私のように感じている産婦人科医は、おそらく少数ではありません。

そんなわけで、今回のニュースレターは修正変更をお断りしたところ、そのまま掲載となりました。なんとも言えない後味の悪さが残っています。

お産の未来像に明るい展望を見いだせない中、なお考えたとき、産むひとたちと連帯する以外には、どのような道も開けないと思います。産む立場のひとたち、すでに産んだひとも、これから産むかもしれないひとも、そのパートナーにも、まず、現状や現実を知っていただき、認識を共有し、そこからなにができるか、どうしていくかを考えることが必要だと考えています。
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2007年10月 [平成19年11月7日]
10月上映会終了後、会場にて(拡大)
10月21日、岐阜県各務原市くさぶえ保育園主催の「地球交響曲第五番」上映会でお話をさせていただく機会がありました。

会場には、明日香医院お産OGが4人もいらしてくださいました。青木文子さんは、お子さんがくさぶえ保育園卒園生および通園中、田村香子さんは出産後助産師をめざし、今春岐阜大学看護学部を卒業、また、森由美子さんは富山から、宮元由和子さんは敦賀から駆けつけてくださいました。とても嬉しい再会でした。本当にありがとうございました。

岐阜は私の出身地ですが、お産の仕事をしていると、ゆっくりと帰省もかないません。今回も日帰りで往復しましたが、高校時代の友人や母に会えたりして、嬉しかったです。友人は保育園の近くで小児科を開業中です。ホームページを見ると、予防接種に熱心に取り組んでおられることがわかります。保育園の子どもたちの中には、かかりつけの子どもも少なくないとのことでした。

ところで、ぜひ、ご一読いただきたいアドレスをふたつご紹介します。ひとつは、岩手立二戸病院の産婦人科長秋元義弘先生が日本家族計画協会の『家族と健康』に書かれた記事「それでも働かなくてはならないのか」です。

かつては複数の産婦人科医が勤務していた二戸病院も、現在は、産婦人科の常勤医は秋元先生おひとりで、岩手医大からの応援を受けての運営のようです。経歴から見るに秋元先生は卒後18年目。本来であれば、指導的立場でご活躍なさっているはずです。岩手県全体の産婦人科の状況から、お話を聞かずとも、過重な勤務は重々想像できるところではありました。けれども、やはり、このような形で読ませていただくと、同業として胸に迫ります。私はなにをしているのだろう、私になにができるのだろう、ごめんなさい、という気持ちもわき起こります。なんのお役にも立たなくて、本当にごめんなさい。

もうひとつは明日香医院お産OGである医師、福島幸江さんのブログです。彼女は、漢方やホメオパシーなどの代替医療も行う母と子のための外来診療をめざし、文京区でえなのさとクリニックを運営しておられます。日々の診療から、こころの問題、人間ひとりひとりの想いかたが一番大事という想いを強くされたとのこと、同感です。
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2007年9月 [平成19年9月10日]
9月わが家の愛づる対象、ポール。軽井沢にて。(拡大)
赤ちゃんとママ社の雑誌『1.2.3歳』秋号の特集「いのちってなんだろう」の取材をお受けしていたものが、発刊になりました。このところ、考えるところあって、取材はお断りすることもあるのですが、今回は、尊敬する中村桂子博士と特集の中でご一緒できることが嬉しくて、喜んでお受けしてしまいました。インタビュー後の原稿にもきちんと手を入れさせていただくことができたので、まずまずの内容になり、ほっとしています。インタビュー記事の項に転載しましたので、お読みいただければ幸いです。

ところで、中村桂子先生は、私にとって東大の化学教室の大先輩です。中村先生の在学当時、生化学教室はまだ独立した学科となっておらず、化学教室の一部門でした。在学中よりそのお仕事にあこがれておりましたので、大学院での指導教官であった富永健教授から同級生と教えていただき、勝手に親しみを覚えていたりしました。

現在は、大阪の生命誌研究館の館長を務めておられます。大阪まで行けないかたも、生命誌研究館のホームページが充実していますので、ぜひご覧ください。

中村先生のご講演を初めて聴く機会がありました。主催者のホームページに講演録が掲載されています。未来への示唆に富むすばらしい内容ですので、ぜひ、お読みください。また、掲載誌・『共済総合研究』vol.51(農協共済総合研究所)は明日香文庫にも置きますので、来院の折にどうぞ。

このご講演では、生命誌研究館のシンボルとも言える生命誌絵巻のごとく、「ものみな1つの細胞から」をメインメッセージに、地球上で人間が特別な生きものでないことをお話ししていただいたと思っています。人間は本当は生きものの1つなのに、その枠の外に出ていると錯覚してしまいました。その結果、ほかの生物と共存しない道を歩み始めています。

そんなお話の中で、私がもっとも衝撃を受けたのは、小学校で40億と習ったはずの世界の人口が、今や63億という事実です。そんなことも知らなかったのと言われそうですが、知りませんでした。時間を横軸に、人口を縦軸に取ったグラフが提示されました。地球上の人口は、有史以来、ほとんどその数が変わっていなかったものが、農業の始まり以来ゆっくり増加し、産業革命以降増加速度が増し、さらにこの100年間はきわめて急激に増加していることがわかりました。さらに、文明のさらなる発達で人間1人あたりの使うエネルギーは増加しているに違いありません。であれば、食物にせよ、エネルギーにせよ、今後も人口がますます増加するとすれば、その生存を地球環境が支えていくのは、絶対に無理だと直感的に思い、絶望的な気分になりました。

今年の夏の暑さの厳しさは、これからの夏がますます暑くなることの前触れでしょう。日中外に出ると、フライパンの上で蒸し焼きにされ、さらに上からもグリルであぶられているような感じで、長時間の外出は、ほとんど不可能と思いました。高齢者が多数亡くなったと報道されていますが、エアコンがなければ、もっとたくさんの犠牲者が出た可能性があります。私にはなにができるのかと自問します。

『1・2・3歳』の中の中村先生のお話は全文の転載は許されないことですので、以下に要約をお話しします。


「生きているというのはどういうことかには、ひとつの答えはない。大事なことは生きていることそのものを大切にすること。生きものはひとつひとつ違うことがおもしろい。ちがうことが大事。違うのだから、自分で考えること。
育児も、わが子をよく見て考えて、自分なりのやり方を見つけること。
最近の生物学のお陰で、二つすばらしいことがわかった。ひとつは地球上の生きものは全部祖先をひとつにした仲間だということ。もうひとつは、38億年の生命の歴史の中で、地球上に生きものが絶えることは一度もなかったこと。38億年前から遠い未来まで、いのちは鎖のようにつながっている。目の前の赤ちゃんは、お母さん、お父さん、おじいちゃん、おばあちゃんとずっとつながって、38億年前までたどれる。そういう大事ないのちであること。そして、人間だけでなく、すべての生きものが自分や自分の子どもとつながっているということ。
子どもを「愛づる(めづる)」という気持ちを持ってほしい。「愛づる」というのは、単にかわいがるのではなく、ゆっくり時間をかけて本質をよく見ること。」


そして、中村先生はお話しを次のように締めくくっておられます。すなわち、過日の私の絶望に対する答えが書いてありました。中村先生の祈りでもあると理解しました。


「21世紀は、地球は広大な宇宙にあるひとつの星で、みんなこの中に住んでいる仲間だ、ということをはっきりみんなが知った世紀です。そして、すべての生きものがつながっていることもわかったのです。ですから、21世紀は、みんなでこの星を大切にしながら、一緒に工夫して生きていこう、という世紀にしなければいけないでしょう。お金よりも権力よりもいのちが大事という社会にすること。今、目の前にいる子どもたちが、本当に思いっきり生きられる時代になるように。」


同じ特集の中で本多慶子さんが、いのちを育む絵本として『100万回生きたねこ』(佐野洋子作・絵、講談社)を紹介しておられます。まだお読みでないかたは、ぜひ、お読みください。忘れられない1冊になると思います。これも明日香文庫にあります。

100万回生きたねこ
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2007年8月 [平成19年8月15日]
8月白馬(拡大)
厳しい暑さが続いています。札幌への転勤から東京へ戻られたお産OGのかたからのお葉書に「東京の暑さにびっくりしています」とあり、たしかにその通りと思いました。

私も、つかのまの休暇を信州で過ごし、信州も日中は決して涼しくはなかったけれども、帰宅して東京の暑さに驚きました。日ざしの強い時間の外出には勇気がいり、思い切って出かけると、フライパンの上で蒸し焼きにされているような気持ちがします。今後、夏の東京が、人や動物が暮らせる環境であり続けてくれることを祈る気持ちになります。

8月山中湖と富士山(拡大)
今日は終戦記念日。ふだんはテレビを見る習慣がないのですが、昨夜はNHKで放送された東京裁判に関するドキュメンタリー番組を見ました。東京裁判は日本の戦争責任を問い、A級戦犯を裁いた軍事裁判です。連合国を中心とした11カ国から派遣された判事団の多数意見により、25人が有罪とされ、うち、7人が死刑となりました。この中で、インド選出のパール判事はただひとり全員無罪を主張し、1000ページ以上にわたる反対意見書を書きました。

けれども、パール判事は、日本に戦争責任がないと言ったわけではなかったのです。当時の国際法には侵略戦争を裁くだけ発展していなかった、したがって、事後に作られたルールに従って裁くのはおかしいという正論を貫いたのです。パール判事の隣席にあって、パール判事に影響を受け、同じく反対意見を述べたオランダのレーリング判事についても番組は取材していました。レーリング判事は原爆投下後の広島を訪れ、完全な廃墟であることに驚き、戦争の意味を考えたと言います。

パール判事は、徹底した平和主義者でした。戦後来日したパール判事は、「戦争は平和への手段としては失敗だった」「日本は美しい国、なぜ、あのような戦争を起こしたのだろうか」と語りました。今日を平和を祈る日にしたいとあらためて思いました。

ところで、明日香医院の藤木助産師と大坪助産師は、同じ日に生まれています。そして今日はふたりの誕生日です。ですから、今日がおだやかな日でありますようにと、いっそう祈る気持ちになります。
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2007年7月 [平成19年7月17日]
7月今年も庭の竹を切り、七夕飾りをしました。(拡大)
夏が来ました。7月中旬現在、梅雨前線は健在で、気温は余り上がらないものの、湿度は高く、過ごしやすいとはいえない気候が続いています。明日香医院は、夏の間、リピータさんに限ってお産をお受けすることにさせていただき、少しだけゆるやかな日々を過ごしています。

7月の8から10日まで、東京赤坂で開催された“日本周産期・新生児医学会総会”に出席しました。一年に一度、周産期を専門とする産婦人科医と新生児科医が参加する、とても大きな学会です。今回は「あたたかいこころ」がメインテーマということで、さまざまな講演、シンポジウムやワークショップが企画されていました。

その一部に出席できたなかで、印象に残ったことを書いてみます。

“子どもの心を育む”というシンポジウムでは、進化生物学の専門家である佐倉統さんの発言のいくつかがきわめて印象的でした。ただし、私の印象に残った発言は、ご講演の重要な部分であったというわけではありません。

彼は「ヒトほど個のいのちに執着する生きものはいない」という内容の発言をなさいました。考えればそのとおりで、目から鱗でした。このところ顕著な医療者と患者の間の齟齬も、この執着による部分が大きいと思います。すなわち、もともと病気があり、そういう意味でやむをえない死であっても、もしかしたら救えたかもしれない、あるいは延命できたかもしれない可能性があるとき、それをミスと認識し、医療者を許せないと患者家族が訴えている例も少なくありません。

けれども、その救命や延命の可能性も、実は、発達した現代医療によってもたらされたものなのです。そして、そのように現代医療が発達した理由も、そもそも、ヒトが個のいのちに執着した結果です。さらに、個のいのちに執着する理由は、ヒトにおいて大脳皮質が発達しているからでしょう。どこかで、いのちには限りがあって、次世代に引き継がれるものであることを受け入れることができないと、人は不幸になるばかりだと思います。

また、「たとえば、カマキリのオスがメスに食べられてしまうように、生殖の目的を達すると、たいていの生きものはそこで死んでしまう。けれども、ヒトだけは、生殖能力がなくなったあとも、長期間生きる。そのことには、どういう意味があるのだろう」という発言もありました。これには、同じシンポジウムで、孫に対しておじいさんやおばあさんの果たす役割も話題に出ていたことにヒントをもらいました。すなわち、ヒトの子育ては、他の動物に比べて、圧倒的に手間と時間がかかります。両親、とくに母親だけでそれを負うのはとても大変なので、生殖年齢を超えた人たちも、その後長く生きて、大家族や共同体で子育てをするということかもしれません。

また、“死産を科学する(忘れられた周産期医療のブラックボックス)”というワークショップでは、胎盤や胎児の病理の専門家から、死産の胎盤や胎児を調べると、胎盤が原因となっていることが多いこと、また、検査以前には死産の原因が不明とされたケースでも、6割程度は原因がわかることが報告されました。全体の趣旨としては、病理の専門家を養成し、未だ検査されていない大多数のケースについても原因を究明し、今後、死産率の減少などに役立てる余地はないかということでした。また、フロアから、先日発達心理学会でご一緒させていただいた小児精神科医の渡辺久子先生が発言なさり、きわめて辛抱強いグリーフケアによって、死産を体験したご両親が事実を受け入れることができるようになった事例が紹介され、今後そのような取り組みが組織的に行われる必要性が指摘されました。

私は、まず、それほど死産の原因がわかるようになっている、あるいは調べられることに驚きました。けれども、現時点で専門家の数は多いとは言えず、仮に明日香医院がそういうケースに遭遇した場合、残念ながら順調に検査を受けられる見込みは難しいと思います。したがって、原因がわかるかもしれないのに、それを調べていただける専門家につなげないことによって、原因がわからないままで終わる可能性があることに、今後私は苦しんだり、ご両親に申し訳ないと思うかもしれません。また、原因がわかることが、両親の悲しみを減らすことに役立つのであろうか、やむをえなかったという結果であれば、役立つかもしれないけれども、なんとかなったかもしれないということであれば、さらに苦しめるかもしれないとも、思いました。

また、どなたにも辛抱強いグリーフケアができるだけ、医療の専門家は充足しておらず、やはりできるだけのことをやっていくしかないとも思いました。

さらに、もっと死産がありふれていた時代、おそらく、死産を受け入れることは、もっと、難しくなかったでしょう。仕方がないとあきらめることも、今よりはできやすかったに違いありません。周産期医療の発達などのお陰で、死産や新生児死亡が減っていることは福音ですが、その結果、死産や新生児死亡を受け入れがたくなっているという不幸なパラドックスを思うと、いのちの有限について覚悟して生きることが必要だとあらためて考えました。それは、私たち医療者だけが覚悟するのではなくて、皆が覚悟すべきことでもあると思ったのでした。
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2007年6月 [平成19年6月1日]
3月25日、輪島市を中心に大地震が発生しました。

この日私は、大宮で開かれていた発達心理学会の「子どもをありのままに受け入れるとはー現場からの提言をどう展開するかー」にシンポジストとして出席していました。小著「子どもを選ばないことを選ぶ」と同じタイトルで、お話をさせていただきました。講演要旨をホームページ上に掲載していますので、お読みください。

シンポジウムは、私のほかにふたりのシンポジストがいらっしゃっていました。環の会の林新太郎・由美子ご夫妻が、養子縁組をした子どもの闘病記とその子を愛してやまない現在の心境を語ってくださいました。また、慶応義塾大学病院小児科で小児精神医学を専門となさっている渡辺久子先生が、子どもを抱きしめることの大切さを豊かな臨床経験から語ってくださいました。いずれも感動的なご講演でした。

午前中は講演準備、午後は移動とシンポジウムのため、私が地震を知ったのは、講演終了後、家族からのメールでした。

6月おひつとおしゃもじ
写真:宮崎雅子(拡大)
昨年春の高井戸便りに書きましたように、明日香医院の塗りの器は、輪島市にある輪島屋善仁さんで作っていただいています。帰宅後とりあえず、輪島屋さんでこの地域の営業を担当してくださっている尊谷敬蔵さんにお見舞いのメールを入れました。お返事など頂けないと思っていたところ、その夜のうちにお返事が戻り、輪島屋さんには、幸い、けが人などがなかったことを知り、一安心していました。

ところが、その後、日経新聞夕刊に工房全壊の記事の記事が掲載され、またあわてて尊谷さんに伺うと、複数の倉庫・工房のうち、もっとも古い3階建ての倉庫が全壊とのことです。また、お店や工房の商品はすべて床に落ちるなどの大きな被害が出たそうです。けれども、そんな中でも、行き先が決まっている商品はすべて無事だったというのは不思議なことです。未来の使い手の気持ちが、作り手のこころのこもった作品を守ったのに違いないと思いました。

6月角切り盆に載せたおひつ、おしゃもじ。いずれも輪島屋善仁製。角切り盆は根来塗り。おひつは外が溜塗り、なかは黒。おしゃもじはあけぼの塗り。
写真:宮崎雅子(拡大)
明日香医院では、昨年の初め、入院のお食事用として、ひとり用の小さなおひつを作っていただくようにお願いしていました。輪島屋さんは新たにデザインを起こすところから取り組んでくださっていました。地震発生時、そのおひつは、まさに塗りの仕上げの段階に入っていました。そして、地震の記憶も新しい4月中旬、尊谷さんがすてきなおひつを届けてくださいました。少しやせられたけれども元気そうな尊谷さんにお目にかかれたときは、本当にほっとしました。そして、待ちに待ったおひつは、形も塗りも、なんとも言えず美しく、感激しました。

その後、地震のお話をいろいろ伺ったのですが、家屋の全壊が多数発生する中、死者1名以外には行方不明者などもなかったそうで、地域に住む人の連携がしっかりしていることが、その理由だと想像できました。東京で同じ規模の地震が起これば、阪神大震災のように多数の死者が出たことは容易に想像できました。また、工房全壊と記事の出た日経の夕刊については、多数の問い合わせがあったものの輪島屋さんでは実物記事をご覧になっていないそうで、なぜなら、輪島には日経夕刊の配達がないからというのが、そのオチです。

そんないきさつのおひつですが、毎日使っていますので、これから入院なさるかたは、どうぞ楽しみになさってください。
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2007年5月 [平成19年5月8日]
5月イロハモミジの実(拡大)
お産は、なぜか立て続けにやってきます。お産がお産を呼ぶのか、赤ちゃんが赤ちゃんを呼ぶのかわかりませんが、明日香医院にお産の波がやって来た夜には、次々とお産の始まりの連絡の電話をいただきます。

4月のお産は駆け足でした。4月17日は新月だったのですが、欠けていく月に誘われたのでしょう、お産の大波がやって来て、この日までに4月予定日の妊婦さんが皆産み終えてしまわれました。

そんな4月中旬のある夜のことです。夕方から中村家のお産が始まっていました。3人目のお産で、上の2人の女の子たちは、5歳と2歳、ふたりとも明日香医院で生まれました。

彼女のお産は、第1子のときも、第2子のときも、最後になると突然別人のように陣痛が強くなり、急速に進むパターンでした。第1子のときは、途中まで本当にゆっくり、のんびり、進みました。日中ずっと待機していた私が、夕方になってしまったので、やむをえず、近くまで用事のために出かけたとたんに進行し、呼び戻されたエピソードがあります。

今度も、きっと、突然進み出すに違いないということになり、パートナーは会社を休み、上の女の子たちも一緒に来院し、もちろん私も一歩も家を出ることなく、また担当の大坪助産師は産婦さんにつききり、関係者全員で完全に待機体制の中、そのときを待っていました。

そこへ、もうひとり、お産のため入院されました。この吉田家は、4人目のお産、明日香医院では2回目のお世話をさせていただきます。こちらも上の子どもたちは皆、女の子です。

吉田家も、3人目のお産のとき、お父さんが、上の女の子ふたりを連れて、近所のスーパーまでおやつの調達に出かけられたところ、急にお産が進み、携帯電話で呼び戻したエピソードがあります。ふたりを両脇に抱えて走って帰ってこられたお父さんの姿が今も目に焼き付いています。そのとき生まれた赤ちゃんが、今年は小学校1年生になりました。

今回も、ちょうど夕方どきでした。「お産には、まだ時間がかかりますから、お夕飯か、買い出しか、行ってこられても大丈夫ですよ。」と申しあげたところ、お父さんから「えー、本当ですか」のお返事。そりゃそうだと思いつつ、「今度こそ、私を信じてください」などとおしゃべりするのも、本当に楽しいのです。吉田さんには、当日夕方のスタッフミーティングのため出てきてくれていた臼井助産師がついてくれることになりました。夜勤の下田助産師が両方のサポートに入ります。

そんなわけで、狭い院内に、中村家4人、吉田家5人、お産後入院中の母子1組、助産師3名、それに私の15名がひしめき、たいそう賑やかになりました。とくに、5人の女の子たちは入り交じり、まるで5姉妹のようでした。吉田家の6年生の長女が、中村家の次女のままごとの相手をして、上手に遊んでくれている様子に、こんな時間と空間が持てることの幸福を感じました。

お陰様で、おふたりともいつものように最後は急速に進んで、その日のうちに無事に生まれました。分娩直前に緊迫した瞬間もなくはなかったのですが、それも、しばしばあることで、必要な対処ができました。そして、赤ちゃんは、いずれも男の子でした。

私は、あらかじめ超音波で性別を見ることはしません。そのため、生まれてくるまで、性別を知りません。今回私は、お父さんたちのひそかな期待を裏切って、両家ともかわいい女の子が生まれ、3姉妹と4姉妹になるのではないかと、心の中で思っていました。私の母が4姉妹の末っ子で、祖父母は娘たちに大切にされていましたので、3姉妹と4姉妹となった暁には、「4姉妹って、最高ですよ」と、お話ししようと思っていました。

ところが、私の予想に反して、両方とも男の子。お父さんたちにとってもむしろ予想外のできごとだったらしく、そんな様子も楽しいことでした。2姉妹の下の男の子と、3姉妹の下の男の子。お姉ちゃんたちにかわいがられて、かわいい坊やに育つことでしょう。

それにしても、本当に楽しい夜でした。私たちを信頼して、私たちのところに戻ってきてくださったご夫婦と、前回のお産の記憶を共有しつつ、お産をお世話させていただく。うちで生まれた子どもたちと一緒に、次の赤ちゃんを待つ。ご家族の喜び、産婦さんのしっとりした笑顔、お父さんたちのおおらかな笑顔、子どもたちのはにかんだような笑顔、そして、私たちにくださる感謝の言葉。私たちもお祝いの言葉をお返しします。

一日中の外来とスタッフミーティングのあと、零時近くまでのお産は肉体的には大変でないことはないのですが、こういう夜は、楽しさ、嬉しさ、幸福さがまさります。大坪さんも、臼井さんも、残業をしていることになるのですが、本当に嬉しそうな表情で、片付けや記録をしてくれています。「残ってもらって申し訳なかったけれども、本当に楽しかった、お産って、こういうものだと思う、こんなふうにお産のお世話ができて、本当に嬉しい」と話す私の思いを彼女たちは共有してくれます。スタッフとお産の感動を共有できることも、私にとって、大きな喜びです。

深夜のお産の場合、いつもは翌日の仕事もあるので、お産が終わり記録を済ませると、自宅に戻って休ませてもらいます。けれども、その夜は、皆と一緒に余韻を楽しみ、ご家族をお見送りしたくて、しばしの間、階下で仕事をしていました。なんとも幸せな夜でした。

ところで、このゴールデンウィーク、庭で新しい発見をしました。木にも花が咲くことをこの家の庭で学んだのですが、今年は、イロハモミジの実を見つけました。モミジの枝の先に、きれいなピンク色の、トンボの羽根のような形のものが揺れていました。花だろうと思って調べたところ、花のあとの実のようです。ほかにも、梅の実、ボケの実など実っています。こちらは、まもなく収穫です。

---追記---

毎年、5月はお産の異常がとても少なく、ありがたい月です。その後も、明日香医院で4回目のお産となる奈美さんが、4人目の男の子をお産なさるなど、嬉しいお産が続きました。この夜は、パートナーのグレッグも、岩手から駆けつけてくれました。グレッグとのお産も4回目。私にとってもグレッグなしでのお産は考えられませんので、間に合ってくださって本当に嬉しかったです。

5月新宿御苑ピクニック(拡大)
5月20日は、あすかネット主催、恒例の新宿御苑ピクニックの日でした。昨年は50組の親子が参加したというこの大ピクニックですが、まさにそのときお産が進行しており、私は参加できず、残念でした。

今年は、途中から、短時間だけでしたが、参加させていただきました。初夏らしい強い日ざし、けれども、木陰は涼しく、まさにピクニック日和でした。今回は25組の参加だったとのこと。会員内でのリサイクルなどの楽しいプログラムも盛りだくさんだったようです。企画・運営くださったあすかネットイベント班の皆さま、ご参加くださった皆さま、たいへんありがとうございました。

私にとっては、久しぶりにお目にかかれたかたもたくさんあり、子どもたちの成長もめざましく、本当にありがたいことでした。今年参加できなかったかたは、ぜひ、来年、新宿御苑でお目にかかりましょう。

5月 1500人目の赤ちゃん(拡大)
そして、今日21日、明日香医院開院以来1499人目と1500人目の赤ちゃんが生まれました。いずれもかわいい男の子です。1500人目のお産では、臼井さんが夕方からずっとついて直接介助、大坪さんと藤木さんが間接介助の助っ人でした。お産後、皆で記念写真を撮りました。

ちょうど5年前の昨日、5月20日、500人目の赤ちゃんが生まれています。その子も、すでにお兄ちゃんになっています。2年半前に生まれた1000人目の赤ちゃんは、まもなくお姉ちゃんになります。

つらいことも少なくないので、さまざま思うことはありますが、それでも、スタッフやお産後の皆様に支えられて、お産のそばにいられることに感謝の気持ちでいっぱいです。
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2007年4月 [平成19年4月30日]
4月モッコウバラ(拡大)
今日は4月28日土曜日、とても天気のよい土曜日の朝です。明日香医院は、5月7日まで外来診療はお休みさせていただき、一応、ゴールデンウィークに突入しました。

とはいえ、お産が2件進んでいます。おふたりとも2回目のお産の経産婦さんで、うちおひとりは第1子も明日香医院でお世話させていただいたかたです。

明日香医院にはお産の部屋、つまり分娩室はひとつだけです。こういうときは、おひとりをお産の部屋で、もうおひとりは、和室の入院室でお産をお世話させていただきます。お産の部屋には藤木助産師、和室には臼井助産師がつききりです。産婦さんのパートナーと上のお子さんも一緒に、おだやかに、なごやかに、楽しく、のんびり、けれども陣痛発作の時は真剣に、赤ちゃんが生まれるときを待っています。おそらく、午後の早い時間に元気に生まれてきてくれることでしょう。

そんなわけで、藤木さんと臼井さんという頼もしくもやさしい2人の助産師たちがお産につききってくれているので、私は本当に安心して、こんなふうに書きものをしながらお産を待っています。もちろん、急変に備えて待機しているわけですから、緊張感も強いのですが、それ以上に、楽しく幸せな気持ちのほうが、大きいです。こんなふうに仕事ができることをあらためてありがたいと思います。

庭は新緑がきれいです。自宅玄関脇の南面に大きく枝を伸ばしたモッコウバラが満開です。薄黄色の小さな花が無数に咲き、深呼吸すると、うっすらよい香りが身体に満ちます。

皆さまも、どうか、楽しい連休をお過ごしください。
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2007年3月 [平成19年5月8日]
3月高井戸の桜(拡大)
井の頭線沿いの神田川の遊歩道の桜並木は、年々大きく立派になります。今年は3月末に見事な満開を迎えました。「花は桜」と感じ入るに十分な美しさでした。去年の写真(昨年のお産の家便り4月)と比べていただくと、桜の成長ぶりがわかると思います。

九段に住んでいたときからの習慣で、今年も千鳥ヶ淵までお花見に出かけました。数年前は桜に元気がなくなり、樹齢のためかと悲しんでいました。ところが、その後の手入れや宴会規制が功を奏したのか、今年は昼の桜もライトアップされた夜桜も、例年に増して見事でした。千鳥ヶ淵の桜がよみがえったようで、嬉しい感動でした。

幼稚園や学校が春休みの時期、明日香医院はお母さんの妊婦健診についてくる子どもたちで、大変にぎわいます。今年も、新入園や新入学を控えた子どもがたくさん来てくれました。明日香医院で生まれた子どもたちが大半であることに感動します。あんなに小さかった子、おっぱいにしがみついていた子が、ランドセルを背負って小学校に行くほどに成長したのだと思うと、感慨が深いです。「わあ、すごいねえ、偉いねえ」とほめると、張り切る子や照れる子など、反応もさまざまです。本当にかわいいです。

お母さんの復職にともない、保育園に入園する子どももいます。また、すでに入園・入学している子どもたちも、それぞれ進級しますので、「次は何組さんになるの」と訊ねてみるのも楽しいことです。幼稚園や保育園のクラスの名前は、ほんとうにさまざまでおもしろいです。

それまでのお母さんに24時間べったりくっついている生活から、ひとりで小さな社会に出て行く子どもたち。心弾み、勇んで出かける日も、勇気を振り絞って出て行く日もあることでしょう。すこやかに、おだやかにと願います。
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2007年2月 [平成19年2月1日]
2月白梅(拡大)
今年の冬は大変暖かく、1月末には庭の白梅が満開となりました。庭に出ると甘く香ります。毎年白梅より遅れて咲く紅梅は、ようやく一輪が咲いています。また、診療所のお玄関のミモザのつぼみも、うっすら黄色に色づいてきました。クリスマス・ローズのつぼみもふくらんでいます。春がそこまで来ています。

けれども、暖冬は地球温暖化が少しずつ進んでいることのはっきりとした証左と考えれば、喜んでばかりはいられません。二酸化炭素を出さない暮らしをどう心がけるか、日々、目の前の仕事や生活の前に忘れがちなことを、思い出しました。

ところで、朝日新聞朝刊1面に大岡信さんの連載「折々のうた」があります。毎朝目を通しているというわけでもないのに、1月30日付の記事が目にとまりました。

2月 ミモザ(拡大)
生まれたき みずからの意思つらぬきて 我はこの世に 生まれしならむ

歌人・高松光代さんの「天機(上)」(平成18年)に所収されている歌です。高松さんは昨年97歳で亡くなりました。

こんなにも誇り高く、いのちの本質を宣言する歌に感動しました。お産のそばにあると、まさにこのことを実感します。小著「子どもを選ばないことを選ぶ」で伝えたかったことでもあります。生きて元気に生まれてくるいのちも、障害を持って生きるいのちも、生まれても生きることのできないいのちも、生まれてくることのできないいのちも、すべて、みずからの意志を強く貫いていることを、これまでのお産を通じて教えられてきました。

2月 クリスマス・ローズ(拡大)
産科医療をめぐり、さまざまな不幸が渦巻いています。たとえば、結果が望まないものであったとき、産む人と医療者との間に起こるあつれき、身体の生理を省みないことから起こる異常などは、親や医療者が子どもたちの生死を操作できるかのような、あるいは、望めばすべてのものが手に入るかのような錯覚やおごりに陥っていることに端を発していると思います。いのちの理を知り、生かされていることに謙虚になることは、この歌が詠うように、与えられたいのちをみずからの意思で力強く生きることと同義でしょう。日々の仕事の中で、まず、子どもたちの生きる力を信じたいと思います。
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2007年1月 [平成19年1月4日]
1月昨年夏、新調した診察机(拡大)
あけましておめでとうございます

明日香医院は静かな新年を迎えました。年末年始はリピータさん以外のお産をお受けしていないため、年越しのお産や入院のかたもありませんでした。おっぱいケアが必要なかたや、逆子の確認でにぎやかな日はあったものの、いつもに比べて静かな日々となりました。年末には待機当番の助産師たちが家中を掃除してくれました。新年5日にはぴかぴかに磨かれた床で、外来診療を始めます。

昨年もお産のお世話をしていく上で、さまざまな試練がありました。いのちの厳しさをあらためて知りました。今年も決して平穏ではないと覚悟しています。いのちの声が聞こえるように、気持ちを澄ませていたい、ひとりひとりの妊婦さん、赤ちゃんと真正面から向き合ってやっていきたいと、あらためて考えています。

本年もよろしくお願いいたします。
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