2008年12月 [平成20年12月] |
今年も、とうとう、最後の月になりました。年を追うごとに、1年が過ぎるのが早くなるような気がします。
12月1日はポール6歳の誕生日でした。隔日でわが家の家事を手伝ってくださっているかたが、ポールにすばらしいお祝いの夕食を作ってくださいました。あまりにすごくてびっくり仰天しましたので、ご披露させてください。大好きなお肉の固まりが、細かく刻んだお肉とブロッコリーの混ぜごはんの上に、たくさん乗っています。
写真は、「待て」の指示に、頑張って待っているところです。このあと、私が代わりにロウソクを吹き消しました。彼は、おいしいものほど味わうことなく大急ぎで食べます。このときも、わずか1分あまりでした。
年内のお産を無事にお世話し終え、新しい年を迎えられるよう、残り少ない今年の日々を大切に過ごそうと思っています。
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2008年11月 [平成20年11月] |
10月の旅行の帰り、ホノルルから飛行機が飛び立ったとたん、私はまたたく間に現実に引き戻されました。機内のスクリーンには、都立墨東病院の産科部長を務める日医大医局の先輩が大写しになっていました。ヘッドホンをつけていなかったので音声が聞き取れなかったのですが、NHKニュースであるらしいこと、またテロップの文字から、どうやら妊婦さんの死亡に関わる報道であるらしいことがわかりました。
ヘッドホンを探す間にたちまち次のニュースが始まりました。校正病院の小児科部長が過労で自殺なさったことに対して家族が病院の責任を問う裁判の判決の報道でした。家族の訴えは認められなかったというものでした。
帰宅後、新聞報道などからおおまかなことがわかりました。そして、この経緯がこれほどの大事件となってしまうことに驚きました。この後、調布市内の産婦人科病院から最終的に墨東病院に搬送された別の脳血管疾患合併の妊婦さんがあったことも報道されました。
墨東病院は、総合周産期母子医療センターですが、常勤産婦人科医師が大幅に不足しています。かつて、複数の大学からの医師派遣で運営されていましたが、最後に派遣していた日医大も、医局員の減少などの理由で派遣の継続ができなくなっていました。このため、診療規模を縮小せざるをえず、すでに2年前から産科外来では新規の予約を受け付けていません。おもに救急母体搬送を受け、この治療を行っておられます。このことは、都内の産科医で知らない人はいないほどよく知られている事実です。ですから週末の夜間に発生した母体搬送要請をすぐに受け入れることができなかったからといって責められるのは、あまりにも気の毒だと思いました。
また、総合周産期母子医療センターは、産科・新生児に限っては、3次施設、すなわち、どんなに重症な患者さんであっても対応できる施設です。けれども、きわめて稀ではありますけれども、脳血管障害や心臓疾患など、他科の病気の治療が必要な場合には、必ずしも対応できません。少なくとも、厚生労働省の決めた設置基準には、これらの科の併設は含まれていません。なお、対応可能、すなわち、治療や救命が可能であるという意味ではありません。
たとえば、墨東病院には脳外科がありましたが、同じく総合周産期母子医療センターである愛育病院や、総合周産期母子医療センターではありませんが、ナショナルセンターである成育医療センターには脳外科はありませんので、脳外科疾患には対応できません。逆に今回のケースのように妊娠35週の赤ちゃんであれば、NICUがなくても、小児科医がいれば十分に対応できる可能性が高く、したがって、産科医と脳外科医がいて対応できる可能性がある施設は周産期母子医療センター以外にもあります。
さらに、これらの事例は、いずれも週末の夜間や、祭日の深夜など、時間外に起きています。平日の日中であれば搬送先に人手も多く、もっと別の対応ができた可能性が高いでと思います。
報道では、「名だたる大病院で受け入れ拒否」「東京のど真ん中でこんなことが起こるとは」などの見出しが並びます。けれども、東京都においても、周産期医療における医療資源、すなわち、医師、助産師、看護師などの人手や入院ベッドは、けっして充足してはいません。
東京都には9つの総合周産期母子医療センターと13の地域周産期母子医療センター(2次)があります。複数の総合周産期センターの役割分担と連携のため、2年前から都内を8つのブロックに分け、それぞれ担当の総合周産期母子医療センターが決まっています。原則としてブロック内からの搬送依頼は、担当センターにお願いするという取り決めになっています。けれども、高次施設といえども、運営に余裕がないことも多いため、地域の担当センターであっても、緊急の受け入れ要請に対応できない場合が、多々起こります。そこで、対応できない場合には、担当センターが搬送元と一緒に搬送先を探すというルールも決められています。センター病院間で閲覧できる空床表示システムもあります。
けれども、実際問題として、総合センターの当直医も、搬送を断らなければならないくらいですから、自分のところの患者さんだけで手一杯であるか、疲れ果てていて搬送先を探す手伝いをする余裕などないことが通常です。そして、そもそも、他科疾患を合併した妊婦さんへの対応は、産科だけの努力ではどうしようもありません。
また、東京は、神奈川、埼玉、千葉などの近県から、それぞれの地域内で収容できない妊婦さんや赤ちゃんの搬送を引き受けてもいます。
さらに、周産期の搬送システムはセンター病院が中心になって構築していますが、これは、東京消防庁が管轄する一般の救急システムとは、まったく、連携、連動していませんでした。
こういった状況は、都内で周産期に関わる医師であれば、誰でも知っています。また、少なくとも私が産科医になった15年以上前から、ほとんど変わっていません。センター病院を中心とした連絡協議会が継続的に開催されているなど、改善の努力はなかったわけではないと思いますが、システムの改善以前に、医師の減少など問題が山積し、公的支援もないまま、結果的に手つかずのまま推移してきたのだと思います。
そして、それぞれの事例に対しては、それぞれの現場の個別の努力で補われてきました。それは、ときに綱渡り的でした。そして、現場にますます余裕がなくなり、受け入れる立場の施設の担当医が「頑張って受け入れるよりは、簡単に断る」ことを選択する現在、休日や深夜にきわめて急激に発症した重症なケースに対して、すみやかに最善の対応ができず、運がよければ得られたかもしれない結果を得ることができないことは、十分に起こりえることですし、今後も起こりえることです。
そんなわけで、現在問題になっていることは、すでに十分に問題でした。さらに、救命できる週数の胎児を妊娠している母体については、総合周産期センターを中心に搬送依頼ができますが、妊娠初期の異常、たとえば、子宮外妊娠などの搬送も問題です。私は、金曜夜、子宮外妊娠の搬送先を探すのに4時間を要した経験などを持っています。
このような状況下にあって、搬送する立場にある私にできることは、異常の早期発見、これは、週末、とくに連休直前には、必須です。それでも、困ったことは、休日、深夜などの困ったときに起こるものです。そこで、搬送が必要になったときは、できる限りの知恵を絞って適切な搬送先を選定すること、できるだけよい形で搬送すること、さらに、搬送を引き受けてくださった施設に対して、感謝の気持ちを忘れないことなどです。
それにしても、これまで、現場の人間がいくら困っていてもなにも変わらなかったものが、事件となって報道されたとたんに、厚生労働大臣主催の懇談会など、動き出すのは皮肉なものではあります。限られた人手と設備を有機的に活用するためのシステムの構築は必要です。と同時に、人手を増やす工夫、すなわち、周産期医療をやりたいと考える人を増やすことも必要です。山積する問題に対して、行政を巻き込んだ動きが有効に実ることを願っています。
このように問題は山積しています。これから出産を考える人が新聞報道を読めば、妊娠・出産は危険に満ちているとしか思えず、不安になることでしょう。けれども、よく考えてみてください。今、問題になっているのは、異常になったときどうするか、という話です。常に、いざというときの備えは必要ですから、これは大切な話ではあります。であれば、全員がセンター病院で産めばよいのでしょうか。もちろん、心配でどうしようもない人はそうすればよいでしょう。けれども、まず最初に考えるべきは、異常になったときの心配ではなく、異常にならないように、自分自身でなにができるかということのはずです。
答えは、とてもシンプルです。健康に暮らすこと、すなわち、朝は早く起きて、ごはんはきちんとおいしく食べ、きげんよく仕事をし、適当に身体を動かし、身体をいたわり、清潔を心がけ、しっかり睡眠を取り、家族仲良く暮らすことです。極端におびえることも構えることもなく、かといって、なめることもなく、医療に頼りすぎることもなく、妊娠と出産を健康に乗り越えていただきたいと思います。
最近の産科医療は、あまりにも異常を強調し、産む人を脅しすぎだと感じています。医療者自身が異常しか見えなくなり、恐怖心にとらわれているようにも思います。怖ろしくて大変な仕事だと認識されているからこそ、産科医のなり手も減るのではないかと思います。ぜひ、健康に産んで、若い産科医たちに、お産はこんなに健康で幸福なものだということを教えてあげてほしいとさえ、考えている昨今です。
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2008年10月 [平成20年10月] |
この10月は、少しお産の予約のない期間があったこと、また、堀口貞夫先生が不在時の分娩立ち会いをしてくださるため、思い切って、呼び戻されて帰ることができない遠いところに、出かけてみることにしました。使う機会のないまま貯まったマイルを使い、飛行機で国外に行くところまではすぐ決めたのですが、行き先はずいぶん迷いました。
1年365日、1日24時間完全拘束されているのが最大の特徴とも言うべき、この仕事を選択して以来、ほとんど出かけることができない生活を余儀なくされていますが、私は、実は、大の旅行好きです。国外に出かけるなど7年ぶりのことで、出かけることができると決まっただけで、飛び上がりたいほど嬉しくて、イタリアのカプリ島まで足を伸ばすとか、ニューヨークのメトロポリタン美術館をゆっくり見るなど、頭の中には、壮大なプランが駆け巡りました。
そして、迷ったあげく、念願の「ポール(わが家のコーギー犬5歳)と一緒にハワイに行く」ことを決意しました。「ポールと一緒に海岸を散歩する」という目標を実現すべく、検疫のための血液検査やマイクロチップの埋め込み、犬の同宿できるホテル探しなど、準備にいそしみました。また、ポールが海外で「恥ずかしい日本犬の代表」となってしまわないよう、お行儀の見直しも必要でした。そこで、小さいときからお世話になっている犬訓練士さんに数回の訓練をお願いしました。さらに、ポールは飛行中の数時間をケージで過ごすことになるため、ケージに入る練習、ケージで寝る練習などもしました。そんなわけで「一世一代の決行」という言葉にふさわしい大計画となりました。
そして、道中、小さなアクシデントは日々続出しましたが、無事、行って帰ってくることができました。のんびりした、けれども変化に富んだ、楽しい時間でした。ポールも楽しそうでした。
マウイ島ハレアカラ火山の再訪も果たすことができました。壮大で美しい景色は20年前の記憶と一緒でした。
小川の水遊びが好きなポールは、海で泳ぐことも好きかもしれない、ならば一緒に泳ごうと、犬用ライフジャケットを用意して持参しました。最初は興味津々で海に入ろうとしましたが、ザブン、ザブンと容赦なく押し寄せる波にびっくり。写真は、私にリードを引っ張られ、懸命に犬かきしているところです。この後、すっかり懲りてしまったらしく、「海は嫌い、泳ぎたくないよ」と、波打ち際には近づかなくなりました。それでも無理矢理に海中に連れて再度訓練を試みると、必死の形相で、ひたすら陸をめざして犬かきします。これ以上は動物虐待だとあきらめました。
ところで、私が留守にした9日間にお産はなし。貞夫先生にお産の近いかたと、ちょっと心配なかた計4名の診察をお願いしたほか、緊急出動していただいて診察をしていただく事例が1例ありました。今回は、携帯電話は繋がるようにしてありましたが、パソコンは持っていきませんでした。留守番のスタッフからは、定時の連絡はなく、必要最小限にメールで連絡をもらいました。留守番のスタッフたちの奮闘の甲斐があり、お陰様で、大過なく休暇を終えることができました。
ポールがまたハワイに行きたいと考えているかどうかはまったく不明ですが、休暇の目的を作ってくれたこと、一緒に休暇を過ごしてくれたことに感謝です。
そして、仕事を離れてみての感想です。仕事から離れることも大切だと改めて思いました。飛行機が成田を飛び立ったときの解放感の中で、こんなふうに仕事を離れて過ごす時間が定期的に持てるのであれば、当分の間、仕事を続けられると感じました。休暇は、永久に続くのではなく、戻る仕事があるからこそ楽しいのだということも思いました。そして、私は、仕事をしている時間がとても好きだと言うこと、だからこそ、仕事を離れた時間を楽しむことができるのだということも、実感しました。
私と同じように開業していたり、あるいはぎりぎりの人数で運営している施設に勤務している産科医の友人たちの多くは、私と同様、せいぜい日帰りか1泊で研究会などに出席することで精一杯で、長い休暇は取れません。
平日のみならず、週末も拘束されていることがふつうです。お産をお引き受けした妊婦さんへの責任感や愛情もありましょうし、お産の仕事が好きと言うこともありましょう。実は、お産はそういう仕事だと思っているから、また、その暮らしがすっかり身体に染みついてしまっているから、やっていられるのかもしれません。
たった1週間の休暇で、私はすっかり元気になりました。もし、私が自分の施設を抱えておらず、自由な身であったなら、そういう友人たちのところに泊まり込みで一定期間手伝いに行き、しばしの間、友人たちが仕事場から離れて自由な時間を過ごしてもらうようなことができるのに、そうしたら、友人たちはうんと元気になり、彼らがお世話する妊婦さんたちがもっと幸せになれるかもしれないなどと思うのでした。
また、堀口貞夫先生は、私より20歳以上年長の大先輩です。そして、大変こころよく、私たちを助けてくださっています。本当にありがたいことです。
私が貞夫先生のお年になったとき、もし、まだ、生きていることができたら、貞夫先生のように、あとに続く人たちの役に立ちたいです。そのためにも、今、産科医としての自分をしっかり磨いておかなければいけないと、改めて思っています。
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2008年9月 [平成20年9月] |
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ムラサキシキブ(写真 北田英治)(拡大) |
秋になりました。9月も末となると、日中は半袖で快適ですが、日が落ちると、風の冷たさに冬を予感します。8月の末からとてもにぎやかに鳴いていた庭の虫たちも、ふと気づくと、その声は、少しずつ静かになっています。それでも、入院中の赤ちゃんの泣き声と合唱するとき、ことのほかにぎやかです。
お隣の栗林に、毎年恒例のクリの売店が立っています。年々人気が高まり、毎朝、開店前から行列ができ、たちまち売り切れてしまうとのことです。10月になると、栗の中でもとくに大きくて甘い利平栗が並びます。グリルで焼くだけで、とてもおいしいおやつになります。
けれど、とても残念なことですが、こんなのどかな秋の光景は今年限りになります。来春、明日香医院の真向かいの栗林にマンション建設の工事が始まります。相続のため、やむなきことのようですが、この国の税制度は、こんなのどかな光景を許してくれないことを思い知ります。建築期間の騒音は必須ですので、その間入院してくださる皆さまには、大なり小なりのご迷惑をおかけすることになると思われます。
設計図によれば、建築基準法で許される最大限の大きな箱形の建物が建ちます。明日香医院に面する道路にも、お部屋のベランダが並びます。また、緑化面積はわずかなので、緑の大半が失われることになります。思えば、これまでがぜいたくすぎる環境だったのでした。
おやつの焼き栗をいただきながら2階の自宅から庭を眺めていたら、窓から2メートルと離れていないカツラの木にシジュウカラがいるのに気づきました。小柄でとてもやせているのは、まだ、若いのでしょうか。そのシジュウカラは、身体の割に大きなアオムシを捕らえ、何度か木の幹にたたきつけてアオムシの動きを止め、さらに足で木の幹に押さえつけて、少しずつついばんで食べていました。大半を食べ終わったところで、アオムシが足から外れ、ポトリと下に落ちました。誤って落としたのか、もうお腹がいっぱいで落としたのか、それとも、アリに残りをプレゼントするためなのかと想像するのも楽しいことです。そして、こんな一部始終を家の中にいながらに観察できることも、地主さんの森のお陰だったと改めて思いました。
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2008年8月 [平成20年8月] |
朝日新聞記事に対する日本ラクテーションコンサルタント協会からの緊急声明をご紹介します。
5月28日、ついで6月4日の朝日新聞東京版家庭欄に、母乳育児バッシングとおぼしき記名記事が大きく掲載されました。今回の記事の重大な問題点は、医学的に疑問のあるものやきわめて偏向した主張が、あたかもまっとうなものであるかのようにとりあげられていることです。すなわち、記事の根拠に問題があります。
これに対して、日本ラクテーションコンサルト協会から緊急声明が発表されましたので、ご紹介します。非常によく整理されていて、よい声明だと思います。
以下のJALCサイトにてご覧ください。
http://www.jalc-net.jp/
このところ、今回のような母乳育児バッシングのみならず、一部の産婦人科医の中に自然分娩バッシングの傾向を感じています。産科医不足問題が医療介入を是とする方向にすり替えられかねないと危惧します。
あたりまえですが、母乳育児の実践が「反医療」ではないように、自然なお産の実践は、「反医療」ではありません。いずれも、自然の摂理を大切に、人間本来の妊娠出産子育てをめざす実践ですが、医療を否定しているわけではないのは、もちろんです。ところが、専門家の一部に、母乳育児や自然分娩があたかも反医療であるかのように捉え、攻撃する傾向があるようにみえます。
今回の記事から、産む人たちは、これまで以上に賢くあることが必要だと、あらためて思いました。 |
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2008年7月 [平成20年7月] |
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朝ごはんのあと、散歩に出かけます。(拡大) |
夏休みを軽井沢で過ごしました。もはや大きくなってしまった子どもは同行してくれませんが、5歳のコーギー犬ポールが一緒です。
ポールは、旅行前に犬訓練士さんと数回の再トレーニングのかいがあってか、今回は、これまで以上に「しつけのよい犬」として行動してくれました。旅行中、人前で吠えることなく、ほかの犬に吠えられても吠え返すことなく、トイレのそそうもなく、レストランなどでは長時間にわたりおとなしく足元に伏せて待つなど、驚くばかりのいい子ぶりを発揮しました。私は、そんなポールの様子を見るたび、完全に親ばか(飼い主ばか)の心境でした。また、広い芝生で一緒に走り回ったり、小川の冷たい水に感動しながら水遊びをしたりなど、本当にゆっくり楽しく過ごすことができました。大人ふたりなら、別の過ごし方もありましょうが、愛おしいと思いながら一緒に過ごせるポールがいてくれることに感謝です。
留守の最終日にお産が1件あり、堀口貞夫先生が立ち会ってくださいました。明日香医院で3人お産をなさったかたの妹さんで、37歳初産。妊娠中はよく歩きました。破水した時点で羊水混濁あり、胎児心音モニタリングでは陣痛発来前から軽い子宮収縮で臍帯圧迫と考えられる徐脈が出現したりなど、一時は搬送の可能性も考えました。貞夫先生が診察してくださり、赤ちゃんが元気だから待てるとの判断で、自然陣痛発来を待機。陣痛発来後も児心音低下の局面もありましたが、ゆっくり、けれども、確実にお産が進行し、元気な赤ちゃんが生まれました。胎児心音の異常は、臍帯が胎盤の辺縁に付着しており、かつ、細く、さらに臍帯血管を陣痛の圧迫から保護するワルトン膠質も薄かったことに起因していたようです。赤ちゃんが、苦しくならないように注意しながら、自分のペースでゆっくり出てきたのであろうと、自然の仕組みの巧みさについて、貞夫先生や助産師たちと、話し合ったことでした。
このケースでは、早めに帝王切開する施設であれば、陣痛発来前、あるいは、発来後の児心音低下時に帝王切開という結果もありえたと考えます。また、破水の時点で陣痛促進剤による分娩誘発を試みていれば、頚管熟化が不十分でさらに児心音が低下し、帝切せざるをえない状況になっていたかもしれません。
産科的には注意深く診察し、待期的に経過を診ていたこと、助産師たちが、ずっとそばについて観察と同時にケアをしてくれていたこと、そして、ご本人は妊娠中よく努力なさっていたこと、また、ご夫婦と明日香医院の間の信頼関係がしっかりしており、パートナーは、産科的な判断と方針を理解し、落ち着いて産婦を支えてくださったことなどが、よい結果につながったと思います。ご夫婦の満足感、幸福感もこの上なかったようで、いろいろな意味で、本当にありがたい、よいお産でした。
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2008年6月 [平成20年6月] |
生まれて初めて、というより、最初で最後になるのかもしれませんが、ラジオの生放送でおしゃべりをするという珍しい経験をしました。
NHKラジオ第一放送で午前中に放送されている「ラジオビタミン」という番組に「ときめきインタビュー」という1時間枠のコーナーがあります。このゲストとして出演依頼をいただきました。今回は、番組担当のディレクター氏が『いのちを産む』を読んでくださったことがきっかけとのことでした。事前打ち合わせのため、ディレクターとアナウンサーのおふたりが明日香医院にも来てくだいました。『いのちを産む』も付箋をつけて読んでくださっていました。
放送前夜、おふたりの妊婦さんが陣痛発来で入院なさったときには、どうなることかと思いましたが、4時過ぎと6時過ぎに順調に産まれました。
といっても、お産と放送が重なってしまったときに備えて、堀口貞夫先生にお産の立ち会いをお願いしてありました。陣痛入院のかたがあるとお知らせしたところ、「大丈夫、行きますよ」との心強いお返事メールが返ってきました。
ところで、ふだんは、テレビも見ず、ラジオも聴かない私ですが、それではいくらなんでも準備不十分と考え、事前勉強のため、直前の2回分を録音して聴いてみました。ちょっと忙しそうな番組だということが、わかりました。そこで、事前打ち合わせの内容だけでは心配になり、お産を待ちながらレジュメを書いて当日の朝になってメールで送ったのですが、それではやはり手遅れでした。
簡単な打ち合わせのあと本番が始まったのですが、圧倒的にアナウンサー氏のペースの展開になって行きます。ちょっと口ごもったり、「それは、ちょっと違う」というニュアンスでお話ししても、話は予定の方向に進んで行きます。
メールやファックスを紹介するコーナーでは、100通以上が届いているとのことでした。けれど「子宮筋腫があったけれども、自宅で産みました」とか「丹波の山奥の自宅で立ち産で産み、生まれた子どもを塩で洗いました」という内容ばかりが紹介され、口ごもったあげく、「無事でよかったですね」とか「ウチでは真水で洗っています」などとお答えしました。
番組が終わったあと、届いていたメールやファックスにひととおり目を通させていただきました。「『分娩台よ、さようなら』の読者です」というお便りも多く、とても驚くと同時に、非常に嬉しかったです。明日香医院お産OGの皆さまからもたくさんのお便りをいただきました。
NHKからの帰り道、「ちょっとせかされながら、短時間に、必要なことだけを的確に話すのは難しいなあ」「もう一度やり直しても、アナウンサー氏のペースになっちゃうんだろうなあ」「あの成り行きの中では精一杯がんばったよ」などと自分をなぐさめながら歩いていた渋谷の街で、人相見の客引きに熱心に声をかけられてしまったのは、気持ちの凹みが顔に出ていたためでしょう。
家に帰って、いただいた録音を聴き、再度凹みました。アナウンサー氏は早口にもかかわらず、非常にはっきりと聞き取りやすい発音です。それに対して、私の日本語の発音のなんとくぐもって、聞き取りにくいことでしょう。語尾が延びているのも、いただけません。プロとアマの差は、あまりにも歴然としているのでした。これでは、ペースに巻き込まれたのは、完全なる実力の差と言うべきであり、私に必要なのは、話し方教室であるとわかりました。
というわけで、聴いてくださった皆さま、お便りをくださった皆さま、大変ありがとうございました。
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2008年5月 [平成20年5月] |
またひとつ、明日香医院の宝ものが増えました。
「10年目の同窓会」の機会に、「5年目の同窓会」にならい、思い出アルバムを作りました。同窓会のご案内に7センチ四方の紙を同封し、それにご家族の写真やメッセージを添えて返送していただくようにお願いしました。それを1冊のアルバムにまとめました。なんともすてきなアルバムができあがりました。
たくさんの写真とメッセージをいただきました(拡大) |
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私は皆さまからいただいたメッセージを胸を熱くしながら読ませていただきました。
写真に添えて、「子どもたちがこんなに大きくなりました」「幸せです」「幸せなお産は宝もの」「明日香医院でのお産が家族の原点」「明日香医院は子育ての原点」「明日香医院がお産の神さまと人の輪に守られますように」などの言葉がありました。このように私たちは支えられ、守られていると思いました。本当にありがとうございます。 |
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2008年4月 [平成20年4月] |
「10年目の同窓会」当日、もうひとつのおみやげ企画がありました。お産OGパートナーであるミワタダシさん、明日香医院でお産の写真を撮ってくださっている宮崎雅子さんのおふたりのカメラマンに家族写真を撮影いただく写真館です。時間が限られているため、あらかじめお申し込みいただいた100家族のみ撮影させていただきました。開演前の時間を利用して、ミワさんは屋外で、宮崎さんは室内で、着々と撮影が進みました。
そして、同窓会から日を置かず、ミワさんと宮崎さんから、作品が届きました。家族写真は、まったくもってすばらしい出来で、まさに感動ものでした。どのご家族も、大人も子どもも、すばらしく表情がいいのです。笑顔がステキで、幸せが輝いています。写真をプレゼントした皆さまの感想も同じでした。「こんな写真は10年に1回も撮れない」など、嬉しい声をたくさんいただきました。
どうしてこんなにいい写真が撮れてしまったのだろうと考えました。まず、おふたりのカメラマンの腕前がすばらしかったことと、被写体のご家族がとても幸せな気持ちで椅子に座ってくださっていたことがあります。さらに、撮影の場が、明るい春の光と、同窓会にいらしてくださっている皆さま全員が作ってくださった暖かい空気にすっぽり包まれていたからだろう、そんなふうに理解しました。
そして家族写真を幾度となく眺めるうち、とても大きな発見をしました。親子は、本当に似ています。そして、親子が似ているのは当然だとしても、ご夫婦も似ているのです。不思議なことですが、ご夫婦は、雰囲気だけでなく、顔立ちも、似ているようです。似たもの同士が結婚するということもあるのでしょうし、ともに暮らし、同じものを食べ、一緒に眠るうちに似てくるということもあるのでしょう。したがって、家族というのは、とても似ていて、ひとつのはっきりした空気を持っています。
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明日香医院生まれの坊やがふたり、そしてお腹に赤ちゃんがいます(拡大) |
よく考えると、これはしみじみ怖い事実でもあります。すなわち、夫婦はお互いの有り様が、よくも悪くも、確実にパートナーに影響するということです。そして、子どもたちにもしっかり影響します。そして、家族としてひとつの空気を作ります。
結婚のパートナー選びは、当然のことながら、とても大切です。そしてひとたびこの人と決めて結婚したからには、パートナーは自分自身の鏡であると考えて、お互いがお互いを大切にした方がよさそうです。逆に言えば、どうしてもうまくいかないのに一緒に暮らしていると、お互いに重大な悪い影響がありそうです。すなわち、よい性格が移るように、悪い性格も移ってしまうらしいため、無理矢理に一緒にいるのはよくないということでもありましょう。そんなことを思ったりもしました。
とはいえ、家族写真集を見ていると、家族っていいな、と、あらためてわかります。夫婦がいて、子どもが育つことの大切さがわかります。そして、私たちの仕事の意味と本質は、このような家族の誕生のときを共有し、支えることにあると改めて感じています。
お兄ちゃんのきりりと凛々しい表情が、頼もしい限りです(拡大) |
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そんなことを考え、同窓会以来、家族写真集を診察室のパソコンのスクリーンセーバーにさせていただいています。そして、私も助産師たちも、写真のご家族の笑顔から、日々の仕事への気力をいただいているのです。 |
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2008年3月 [平成20年3月] |
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国立オリンピック記念青少年総合センター |
3月2日、明日香医院開院10年の節目に、国立オリンピック記念青少年センターのホールをお借りして、お産OGの皆さまとともに「10年目の同窓会」を楽しむことができました。いらしてくださった皆さま、本当にありがとうございました。
運営スタッフはてんやわんやだったのですが、参加者の皆さまには「なんともゆるくて暖かい雰囲気」と感じていただけたようで、賑やかで、嬉しくて、おだやかで、楽しい一日になりました。
プログラムは三部構成としました。大ホールでの第一部は、まず私から、なつかしい写真とともに明日香医院のあゆみをお話ししました。
さらに明日香医院においては、男の子ふたりの3人目は圧倒的に男の子が生まれる割合が高いというデータを披露し、男の子のお母さんたちに衝撃を与えました。
その後、私の不在時のお産のとき立会医をお願いしている堀口貞夫先生が「お産には環境が大切、明日香医院はたてものから見える緑がとてもいい、吉村医院もそうなのだけれども、その緑を見ていると、自然な力を感じ、その力をもらえるように思う」とお話くださいました。
その後、『地球交響曲第五番』の中から、明日香医院での場面を集めた「誕生編」の上映を行いました。何度見ても、やっぱりお産っていいなと思うすばらしい映像です。上映後、龍村仁監督夫人であり、『第五番』の産婦さんであるゆかりさんが「自分がいかに愛されて産まれてきたかを身にしみて感じていることが、その子の生きる力になる。自然なお産をつなぐことは、いのちの最初のところで、その子の生きる力を支えることだと思う」と話してくださいました。
レセプションホールへの移動も一波乱 |
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900人の集合写真(拡大) |
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第二部は、会場をレセプションホールに移し、参加者全員で集合写真を撮影しました。
カメラマンは「5年目」同様、ミワタダシさんです。今回ミワさんは、5年前の教訓から、カメラに収まる範囲と私の立つ位置を、あらかじめ、床にテープを貼って目印を付けておいてくださいました。
お陰で小さな子どもたちも入れて約900人の大集団が1枚の写真に見事に収まりました。これは、ミワさんがこれまで撮影された中で、一番たくさんの人の写った写真だそうです。
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チョコレート・ファウンテン |
続いて「三時のおやつ」。おにぎりやクッキーなどたくさん並び、溶かしたチョコレートを付けて食べる"チョコレート・ファウンテン"など、楽しい工夫もありました。
第三部は、"パパママ・バンド"によるコンサートでした。"パパママ・バンド"はその名の通り、お産OGとそのパートナーの有志により、「10年目の同窓会」のために結成されました。
メンバーは、ヴォーカルのうちおふたりとドラム、キーボードのおひとりがプロ、そのほかは、腕にちょっとだけ覚えのあるシロウトという、不可思議だけれども、きわめて絶妙な組み合わせで構成されていました。初期の練習に一度おじゃましていた私は、そのときの様子から、いったいどんなことになるだろうかとハラハラドキドキして本番を迎えました。
伊藤ふみおさん |
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全部で5曲をご披露いただいたのですが、最初の1曲は「最初からコケルわけにはいかない」ということで、プロの伊藤ふみおさんのヴォーカルでスタート。『空も飛べるはず』は私のリクエスト曲でした。
2曲目は、シロウトヴォーカルの福島裕之さんが『世界で一つだけの花』を大熱唱。会場の子どもたちもノリノリ。
3曲目と4曲目は、同じくシロウトヴォーカリスト・ポステット京子さんの歌に乗せて、新刊『いのちを産む』の写真97枚すべてをフォトストーリー仕立てでご覧いただきました。曲と写真がぴったりで、宮崎雅子さんも私も、本当に嬉しかったです。
フォトストーリー「いのちを産む」(拡大) |
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崎山龍男さん |
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以上4曲目までがバンド全体での演奏でしたが、"パパママ・バンド"リーダーであるドラムの崎山龍男さんが、縁の下の力持ちとして、曲のリズムを支えていてくださっていました。崎山さんの優しくて繊細なドラムを近くで聴かせていただき、私はドラムという楽器のステキさをあらためて認識しました。
なお、崎山さんと伊藤さんによれば、当日リハーサルも含めて5回の合同練習を経て、本番は練習のどのときよりもよい出来だったとのことです。さすがです。
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嘉松芳樹さん |
最後の曲『さんぽ』はオペラ歌手嘉松芳樹さんと一緒に、会場の皆さま全員で歌っていただきました。嘉松さんは3児の父でいらっしゃるのですが、2番目と3番目の子どもたちを両腕に抱えて登場。そのまま、3番まで歌ってくださいました。オペラ歌手は並大抵の体力ではできないことを知りました。バンドメンバーもそれぞれの子どもを抱えて舞台上で歌ってくださり、また会場の子どもたちも、嬉しくなって通路で歌い、本当に楽しい最後になりました。
なお、嘉松さんが子どもふたりを抱きかかえて登場した理由は、親子合唱の演出ではなく、パートナーの美香さんもキーボード担当出演のため、演奏の間、子どもたちの世話をする人がいなかったためだったとのことでした。演奏途中で抱っこの理由を察した私は、ハラハラしながら、芳樹さんの腕が最後まで持ちこたえますようにと、舞台袖から祈っておりました。
明日香どらやき |
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同窓会のおみやげは、「明日香どらやき」でした。お産OGの和菓子職人・中田春美さんにお願いして"明日香10"と焼き印を入れたどら焼きを焼いていただき、一家族ひとつずつでしたが、お持ち帰りいただきました。
長くなりましたので、続きは、4月の便りに続きます。
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2008年2月 [平成20年2月1日] |
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大野明子・文、宮崎雅子・写真
2008年2月発行 学研刊(拡大) |
宮崎雅子さんの写真と私の文章のコラボレーションを試みた1冊、『いのちを産む』が、ようやく世に出ました。そもそもの着想は、平成16年秋、『地球交響曲第五番』上映会のおり、精魂こめてフォトストーリーを作ったことにさかのぼります。宮崎さんの写真の数々のすばらしさにあらためて感動し、では、曲のかわりに文章を乗せようと、比較的単純な思いつきが始まりでした。
出版元である学習研究社さんとのご縁は、お産OGである千代延千恵さんのパートナー、勝利さんが編集者として勤務しておられることからいただきました。学研さんでの企画決定から約2年。書けない苦しみを経て、ようやく、形になりました。
宮崎雅子さんの写真は、表紙も含め、総数で97枚を掲載しました。これは、過去に出版された彼女の2冊の写真集に勝る数であり、写真家宮崎雅子さんの現時点での集大成と言っても過言ではありません。ふたりで行った写真選びは、本当に楽しい時間でした。また、写真使用をお願いしたお産OGの皆さまからいただいた励ましは、私にとって、その他の部分を書き続けるための大きな力になりました。
写真は、明日香医院の風景から妊婦健診の様子、陣痛中のご夫婦、お産のとき、お産後と、5章にわたって、時系列に並べました。お産の場面をそのまま切り取ったかのごとくの雅子さんの写真の数々は、何度見ても大変魅力的です。自然なお産がどんなものか、どんなにすてきかを伝えるのに、これ以上の媒体はありません。
友人の産婦人科医、東北大産婦人科准教授・室月淳さんが、次のような感想をくださいました。「そして宮崎雅子さんの写真がいいです。産科医であるはずの私ですら、写真を見ていると、やっぱりお産っていいなあという気持になってくるのですから、本当に不思議ですよね」。雅子さんにとっても、私にとっても、最高に嬉しいメッセージでした。
そして、写真を見ながら、思い出したこと、感じたこと、考えたことを綴り、写真に添えました。さらに、写真脇の文章とは別に、各章ごとに現在考えていることをできるだけ系統立てて書きつづりました。
着想から3年を必要とした理由は、まず私の日常がお産だけで手一杯であること、ついで、そもそも遅筆であることがありますが、それだけではありません。この間、ますます産科医療事情が厳しさを増しています。3年前は、まだ一般には認識されていませんでしたが、今では、マスコミ報道されるほどに顕著です。
もはや、単に自然なお産を讃えていても、自然なお産を守ることは困難です。産む人と産科医療者の認識や意識の乖離はいちじるしく、その原因は医療者にも原因がありますが、同時に産む人にもあります。今、私が産科医として出版することに何か意味があるとすれば、それは、この乖離を少しでも埋める方向を模索することにしかありません。けれど、それを考えあぐねているうちにも、さらに事態は進みました。絶望だけが増すような日々でもありました。
まさに、書き始めようと全体の構成を考えていた平成17年2月、福島県立大野病院事件が起こりました。帝王切開による母体死亡で産科医が逮捕されたのです。刑事裁判と民事裁判の区別さえよくわかっていなかった私ですが、同じ仕事をする身として決して人ごととは思えず、勉強しながら考えました。今回書き進める中でも、大野病院事件について触れることは必然でした。そこで、一般のかたがお読みいただいても理解していただけるように、事件とその背景について解説し、私見もまじえて考察しました。
さらに、その後、マスコミを賑わせたのは、内診問題です。看護師や無資格者による内診や分娩介助がとんでもないことは、明らかです。けれども、わが国の助産師の歴史、とくにその養成についてあらためて勉強し直したとき、内診させた医師や内診した看護師を書類送検して済む問題ではないことがよくわかりました。内診問題については、妊婦さんたちはもとより、報道記事を書いている新聞記者も、実は、当の助産師や看護師さえ、正しく理解しているとは言えません。なぜなら、私もこれを書くまで、理解できていなかったからです。そこで、5章で詳しく解説の上考察しましたが、これは内診問題を理解していただくための総説になっています。
6章には、『第五番』上映会の際の龍村仁監督、宮崎雅子さんと私の鼎談に手を入れて収録しました。非常に内容のある読みものになっています。5章までを書きあぐねていた今の私にとっては、3年前の私に励まされているような、すなわち、お産への情熱を取り戻すためのエネルギーのような内容でもありました。
サブタイトルは、『お産の現場から未来を探る』としました。このままでは、産科医療は集約化に向かい、ひとりひとり、ひとつひとつのお産を大切にすること、本来、ほとんどの人ができるはずの経腟分娩と母乳育児が、ますます難しくなる可能性があります。人手不足や、医療的な安全を旗印に、お産をこれまで以上に医療化することが正当化されようとしています。お産が本来の姿から遠ざかれば遠ざかるほど、人は本来持っている魂の透明さや輝きを失ってしまうと私は思います。不妊治療と医療的なお産が主流となる未来は、回避しなくてはなりません。
絶望しか見えないような現場ではありますが、しかし、未来は、ひとりひとりのすこやかさの中にあります。私は、ふつうの人がふつうに産む幸せに立ち会わせていただくたび、このことを確信します。
今回の装丁は、開院以来明日香医院のデザインワークを担当くださっている武蔵野美術大学教授・寺山祐策さんと、アシスタントの大村麻紀子さんにお願いしました。
当初は、写真1枚につき、文章は何文字と決めて書こうと考えていたのですが、実際に書き始めてみると、そんなことはまったく無理でした。結局、文章量は写真ごとに大幅に異なる結果となりましたが、非常に難しいはずのレイアウトが読みやすい形に仕上がったのは、ひとえにおふたりの力量によります。
大村さんは、写真と文章にときに涙しながらの作業だったそうです。それほどまでに読み込んで、こころを込めて作業してくださったことに、感謝の気持ちで一杯です。寺山さんは、今春からサバティカルイヤー(何年か大学に奉職後、リフレッシュのため留学すること)を利用して、ヨーロッパに遊学なさるため、いったん事務所を閉鎖されました。本書が、第1期寺山事務所の最後の作品となった偶然に、深い感慨を覚えます。さらに、デザイナーとともに紙を工夫し、宮崎さんとデザイナーが色校正を重ねた甲斐あって、満足すべき刷り上がりになりました。
これから産む人は、自分のお産と自分の子どものことだけを考えるのではなく、自分のお産が大切であると同様、ほかの人のお産も大切であること、また、自分の子どもがかわいいように、どの子もかわいいのだということに思いを馳せてください。自分が産んだらおしまい、無事に幸せに産めたらあとはどうでもよいということではないはずです。ご一読いただき、考えていただくきっかけにしていただけたらと願います。 |
2008年1月 [平成20年1月] |
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ご近所の公園で、新雪を走り回るポール(拡大) |
あけましておめでとうございます。
これまでも、さまざまなかたの、それぞれのお産をお世話させていただいてきました。これからも、さまざまなお産に出会うことと思います。お産の神さまに守ってもらえるような、そんな私たちでありたいと考えています。
今年もよろしくお願いいたします。 |
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