お産はいのちの営み
子どもをかわいがる力
当院のお産
太らないこと、歩くこと
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お産はいのちの営み
緑多き杉並の地に小さなお産の家を構え、1年あまりが過ぎました。自然の中で季節がめぐり、明けても暮れても、お産に追われる日々を暮らしています。それにしても、なぜ、お産はこうまで魅力的なのでしょう。自然なお産は人の都合と無関係で、身を削るような働きかたを強いられますが、それともひきかえられるほどの魅力があるのはなぜでしょう。
それはお産がいのちそのものの営みだからです。生まれてくる赤ん坊は、どの子もまるごとのまったきいのちです。まっすぐで、きれいで、どんな汚れもなく、かわいらしくて、愛すほかないいきものです。子どもは未来そのもので、子どもを通して未来が見えます。
反面、新聞から伝えられる昨今のニュースは悲惨です。子どもたちが仲間や大人のいのちを奪います。そればかりか、親のいのちを奪う子どもがいて、子どものいのちを奪う親がいます。こういう子どもたちは、どんなお産で生まれたのでしょう。こういう親たちは、どんなふうにその子を産み、育てたのでしょう。何が悲劇のおおもとになったのでしょう。お産を仕事とするものとして、そう考えないではいられません。
お産は子育ての出発点です。出産とその前後の状況は、母と子の関係、さらに父と子の関係、ひいては、子どもをめぐる両親の関係に影響します。お産のお世話をしているとそれを実感します。もちろん、母子間の愛着が両者の密接な接触から生まれることは、すでにさまざま報告されています。たとえば、最近も「子ども虐待」に関するアンケート調査の結果、非虐待児の約半数は極低出生体重児であったという報告1)
がありました。NICU入院による長期間の母子分離や、母親の子どもに対する無力感が、母子関係の正常な発達を阻害したのでしょうか。
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