明日香医院
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小さな「お産の家」で、私たちがめざすもの
はじめに
産科医になったわけ
お産の家
手術室はない
おわりに
さらに考えた。私がしたかったお産は、人間としてあたりまえのお産である。自然の理にかなった、生理的なお産である。私と同じように願う女の人は、きっと少なくない。けれど、次に私が子どもを産むとして、産む場所がない。ならば自分で作ろう、助産婦になるのもいいけれど、わけのわからない医師に指図されるのはいや、だから産科医になろうと決めた。決心するまで2年を要した。

そして医学部に再入学した。2年からの編入であったが、それでも卒業までにさらに5年を要した。家族に支えられ、遠距離通学とアルバイトに明け暮れた。暗くて長いトンネルに入ってしまったかのような、本当に長い5年間であった。

けれど医学の勉強はおもしろかった。私にとって化学が頭で理解する学問ならば、医学は皮膚感覚でわかる学問で、楽しかった。そして何より私が勇気づけられたことは、基礎医学、臨床医学、なかでも産婦人科学と学んでも、「自然なお産が一番生理的で安全」という直感の正しさを疑う根拠がなかったことである。

医学部卒業の春、子どもは小学校に入学した。子どもを抱えながらも複数の一流産科施設で研修を受ける幸運に恵まれた。そんな日々のなかで、介入の結果やその是非について考えた。同時に自然分娩の実践で知られる愛知県岡崎市の吉村医院の当直医として、月に2晩を過ごし、自然なお産のありようをつぶさに見せていただいた。

このような4年の時の後、もうこれ以上勤務医を続けられなくなり、というより分娩台の上のお産に立ち会うつらさに耐えられなくなり、自宅出産の専門で開業し、現在に至っている。私自身のお話をしたのは、私がこのようなかたちで仕事をするにいたったわけをお話ししたかったためである。いま私たちがめざしている医療、お産やケアは、かつて私自身が本当はそうしてほしかったことにほかならない。
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