明日香医院
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小さな「お産の家」で、私たちがめざすもの
はじめに
産科医になったわけ
お産の家
手術室はない
おわりに
産科医になったわけ

まず、簡単に私自身の紹介から始めたい。

私は産科医になる以前、地球化学の研究者であった。博士号を取ったあと、子どもを産んだ。お産の本は読みあさったけれど、当時のいわゆる「妊娠本」は、産科の教科書のしろうと向け焼き直し番のようなもので、本当のことなど書いてなかった。いくら読んでもお産はブラック・ボックスのままで、何もわからない。わからなければ、いきおい「きっとわからなくてもいいんだろう」、「みんな産んでいるんだから、なんとかなるに違いない」と、思いたくなる。私もそう思い、太ってはいけないことなど知らず、体重は13キロも増えた。

お産は、いまにして思えば安産だったが、ひとりで痛みに耐え、平たい台の上で仰向けになり、お尻にアトニンを筋注され、クリステレルでお腹を押され、つらいものだった。切れてしまった会陰も痛んだ。現代ではふつうのお産だけれど、そして子どもは無事に生まれたけれど、「これじゃない」という思いが強烈に残った。

子どもはひたすらかわいく、桶谷式の助産婦さんの手技に助けられ、おっぱいだけで育てた。そしておっぱいを飲ませながら、毎日考えた。「これじゃない」とすれば、いったい私はどうしてほしかったのか、どうしたかったのか。太ってはいけない、陣痛のときひとりぼっちはつらい、仰向けで産むのはつらい、会陰の傷の痛みはつらい、おっぱいがかんかんに張るのはつらい、つらいことばかり。

同時に、そうではないお産があるかもしれないことも、次第にわかってきた。仰向けで産まなくてもいいことも知った。おっぱいで子どもを育てるすばらしさも、日々実感した。この世に絶対ということはほとんどないけれど、子どもをおっぱいで育てることは絶対にいいことだと思った。
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